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2015年05月22日19:40

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【45】」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15748 (写真入り記事)

今日の「一日一シャ」は、圧倒的な希望によって生かされていることに対して感謝します。

クリスチャンになる前の18歳の頃、「死にたい!」と思ったことがありました。クリスチャンになった後は、「死にたい!」という気持ちは消えて、代わりに「生きたい!」、そして、「生きてこの喜びを伝えたい!」と思うようになりました。

その後、「死にたい!」という気持ちとは無縁だと思っていました。しかし、神様は、死にたい人の気持ちをわからせるために、時々、死にたい人と同じような気持ちを感じさせてくれます。

人が死にたくなるのは、明日が見えず、希望を失った時です。

自殺の原因で多いのは、1番がうつ病、2番が病気、3番が経済問題だそうです。

うつ病は、単なる一精神病では括れないと思います。ガン、エイズ、エボラ出血熱のように、死に至る可能性の高い病気であり、うつ病の人の自殺は病死と考えてもいいと思います。

うつ病は、早期発見をし、早期治療をするならば、かなりの確率でいやされる病気だそうですので、その兆候があったら、身近な人に相談して下さい。

うつ病は、「死にたい!」と考え、口にまでするというのは、どれだけつらいだろうと思います。

2番目の病気は、特に、治る可能性の低い不治の病にかかることで、明日に希望を持てなくなって、生きているよりも「死んでしまいたい!」と思うようになるのだと思います。先日、安楽死を求める女性の動画がユーチューブにアップロードされましたが、体の激痛も伴いますし、同じ立場に置かれたらどれだけ苦しいだろうと思います。

3番目の経済問題も、当事者には深刻です。

今まで、経済的に困って借金をしたことはありませんが、ギリギリのところを何度も通されました。今日は銀行に行きましたが、通帳を見ながら不安のどん底に落とされることもありますし、必要が満たされて、その場で感謝とともに、張り詰めた糸が緩んで泣いてしまうこともあります。

経済問題は現実であり、人間の精神が衰弱させられてしまいます。経済問題で自殺する気持ちを想像することは難しくありません。

15〜39歳の若い人の最大の死因は自殺だそうです。自殺の理由は、学校の問題や就職の失敗などで、「まだ若いのに!?」と思いますが、学生にとっては学校の問題はほとんどすべてです。卒業後に就職ができないということも、どれだけ苦しいことでしょうか。

人は、希望を失って、明日が見えない時に、生きるよりも「死にたい!」と思うのです。

聖書は、私たちがどんな時にも希望が持てるように、自然界の空の鳥、野のゆり、野の草などの実例を上げて、「心配する必要はない。心配をやめなさい」、「あすのための心配は無用ですよ」と語ってくれます。

「わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイの福音書6:25〜34)

また、患難の中に置かれていても、「大丈夫だ!」と語ってくれます。

「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。」(ローマ書5:3〜5)

私は、「キリスト教という宗教に希望がある!」と言っているのではありません。イエス・キリストに希望があるのです。

キリスト教とイエス・キリストはイコールのはずですが、宗教となり、人間の組織となった時には、それがブレてしまうことがあります。マルチィン・ルーテルの宗教改革のように、いつも聖書に立ち返っていく必要があります。

なぜこのような話をするかというと、クリスチャンでも「死にたい!」と思う人がいますし、苦しんだ末に、自殺してしまう人もいるからです。

人には、正しい信仰に基づく希望が、まず第一に必要です。

次に、神の家族である教会での愛の交わりによる支え合いが必要です。

インターネットを通して、この2つが完全にできるとは思いませんが、その助けになったり、そのきっかけを作ることはできます。

私は、ネットを通して、自分の正しさや強さ、スゴさをアピールしたり、社会への不平不満を吐露したり、議論を吹っ掛けるより、互いに希望が持てるように励まし合い、慰め合い、支え合い、「死にたい!」と思う人がその苦しさから解放され、元気になれたら素晴らしいなーと思います。

神様は私に、希望を失い、死にたくて苦しんでいる人の友となり、イエスさまの十字架と復活を通して、一緒に地獄のような苦しみから、喜び、笑い、自由になり、圧倒的な勝利者になれるように、時々、経済的な試練、人間関係の試練などを与えられます。死にたいほど苦しんでいる人の気持ちを理解させて下さっています。

今日も、死にたくて苦しんでいる人からメールをもらいました。

苦しんでいる人がいたら、励まし合い、慰め合い、支え合いたいと思います。

しかし、励まされ、慰められ、支えられて元気になって終わりではありません。その先があります。今度は、他の苦しんでいる人を助ける人になっていくのです。

「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカの福音書22:32)

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。」(第二コリント1:4〜6)

未だに、日本の毎年の自殺者は3万人前後もいます。自殺未遂者や自殺志願者を含めると、その10倍をはるかに超えるのではないかと思います。平和で、豊かな国であるはずなのに、なぜそんなに多くの人が苦しんでいるのでしょうか。

表向きは、心身の健康や経済的な豊かさで解決できるように見えなくもありませんが、根本原因はもっともっと深いところにあると思います。

それは、創造者である神との関係が切れていることにあります。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せて集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」(ヨハネの福音書15:5〜6)

ぶどうの木から切り離された枝が枯れてしまうのは時間の問題です。

神は、ご自分と私たちとの関係をわかりやすく「ぶどうの木と枝の関係」にたとえられました。

ぶどうの木の枝が生き続けるために必要なのは、しっかりとぶどうの木につながっていることです。同じように、私たち人間が生き続けるために必要なことは、しっかりと神につながることです。

神との関係が切れた状態を聖書は「罪」と教えます。

人が希望を失い、生きていくことが困難になり、「死にたい!」と思うのは、神と切り離されていて、すでに死んでいる状態にあるからです。

しかし、そのすでに死んでいる、瀕死の状態にある私たち人間を救うために、イエス・キリストが2015年前のクリスマスにこの地球に来られ、神と私たち人間を再びつなぐために、十字架で死なれ、よみに下り、三日目によみがえって下さいました。

「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』」(ヨハネの福音書11:25〜26)

キリストを信じ、神と一体になって歩むなら、どんな状況の中にあっても希望があります。神とつながっているので、神のいのちがあるからです。神のいのちは、すべての問題を解決し、死を飲み込んで討ち滅ぼした永遠のいのちです。

神は、「だから大丈夫だ!」と私たちを励まして下さいます。

私は、毎日イエス・キリストを通して父なる神との関係によって支えられ、生かされ、守られています。

どん底を経験しても、なおもっとどん底に神が共におられます。

キリストは、十字架で死なれ、墓に葬られ、よみに下りました。底辺に下ったのではありません。それよりももっと深い定点にまで下られました。その一番深い定点に下り、そこからよみがえって、今は父なる神の右におられます。

キリストを信じるなら、どん底でキリストと出会い、キリストとともに死に、キリストとともに復活し、天国の神の右にまで引き上げられるのです。

私は、そういう希望と救いが与えられ、それを、「死にたい!」と苦しんで救いを求めている人に伝えることができることを感謝しています。

今日の「一日一シャ」は、こんなに素晴らしく偉大な神に仕えることができることを感謝して終わりにしたいと思います。

今日もお疲れ様でした。神様の祝福をお祈りします。ゆっくりおやすみ下さい。

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