mixiユーザー(id:21004658)

2015年05月22日14:12

558 view

「戦争という狂気」 ゲリラたちの悪逆非道−有志国連合軍「正義の軍隊−十字軍」

 「大東亜戦争ー白人支配よりのアジアの解放戦争」=「傲慢な日本人・軍」−「I Want You!」




「戦争は滅び」を忘れた日本の若き観客たち。もうすぐ「君たちの時代」になるだろう。

 安倍総理大臣は君たちの為に「輝かしい未来」を用意してくれている。君たちは電子戦を戦う若き神兵になることが、近く可能となるだろう!

 さあ「悪魔・悪人」を桃太郎よろしく鬼ヶ島に退治しに行くが良い。何、ゲームと同じだ。君たちは死なない。何度でも生き返る。君が窮地に立ったならアメリカ軍が助けてくれる。  



 「テロリスト=悪逆非道」」−我が国では「イスラム過激派・極悪人説」が罷り通っている。彼らを作りだした第一次大戦後の「先進国によるアラブ処理(サイクス・ピコ協定やバルフォア宣言など)」や「南北間格差」などは問題にもされない。

 彼らのテロは「野蛮だ・非道だ」が一般見解とされ、また中共の軍事大国化もあり、「日本も相応に備えるべきだ」という意見が「あたりまえだろ」となってきている。およそ一般世論もメディアも「ゲリラは極悪非道」と決めつけ「テロより日本人を守るー戦争を準備する」ことに不思議を感じていない。これが安倍総理を後押しする。「軍備増強・安保強化」へと向かわせる。

 しかし「材料の全てをまな板の上に上げて」語ることもせず、「双方の言い分に耳を傾ける」こともなく、「メディアの流し続ける一方的な情報」を鵜呑みにして「テロリスト―悪逆非道」とするのは、如何なものか。

 確かに「悪逆非道」なのではあるのだが、よっていきなり「爆弾の雨」も無茶ではないか。もう「あちらでの戦争」は終わりかけてはいるのだろうが、逆に「投降者の私刑・虐殺」は増えている。そのことに誰も思い至らない。現象面を非難するのは傍観者の、さも特権であるかの如く。



 本来ならば「世界に冠たる日本」は、「中立の立場に立ち、判断を下すー積極的平和主義」であるべきではないだろうか。「普遍的正義」とは「正義の意味」が、世界各国・国民ー民衆の前に明らかにされ、「評価を得る」ということだ。



 今、日本では、国会では「限定的な、一方による既成事実の積み上げ」で、「有志国連合+日米安保」で、イスラム過激派や世界中に散在する「反乱軍・反政府軍・反米主義者」を、また国内の過激派と「流血の戦い」を戦おうとしている。 

 しかし乍らこれは、見方を変えれば「悲しみと憎しみの連鎖・坩堝」を際限なく巨大化させていく行為だ。



 私たちが守ろうとする「戦後・平和主義理念」と安倍総理の「政府の唱える積極的平和主義」とは、全く違う。

「平和・自由・民主主義・繁栄・安全などなど」が「銃と核」によってしか守られない、手に入らないとするならば「全く人間を信じていない」唯銃(核)主義である。

 私たちが戦後70年積み上げて来たものは、それは「憎しみの連鎖を断ち切る平和主義」である。そう「後藤健二氏の活動」がその端的な一つの現れだった。(彼が亡くなり、「シリア・イラク情報」実情など、もう知る由もない)



 武力の『武』の字は「二つの矛の交わりを止める」と書く。その意味である。よって武力の本来的意味は「積極的平和主義」のことである。もしくは「二つの矛の交わりを止める」武力であるだろうか。

 それは平和外交ー政治・討論による認識と互いの肯定ー「仲良くしよう・半分こしよう」のことであるだろう。そして私たちが思うのは,N・マンデラ氏の言葉であり、これが「積極的平和主義」の基本であるだろう。

「勇気ある人は平和のために許すことを恐れない」・「報復するよりも情けをかける方が、この世界ではより多くのことを成し遂げられる」

 そう、私たち日本人が言うべき平和主義は、本来は戦後憲法にあるような、その意味で過去の戦争を反省して後の「普遍的正義と平和」の事柄であるはずだ。日本人こそが核兵器廃絶を言うにふさわしい。



「積極的平和主義」とは、

     ポットン便所の蛆や蠅を追う叩く行為ではなく、

              ポットン便所の改良・水洗化を行う行為ということだ。



 大東亜戦争当時、日本人・軍だって「似たようなこと」をしていたことを君たちは知らないのか。忘れたいのか。

「イスラム国・共同幻想」であるならば「大日本帝国・共同幻想」であるということだ。

 それは「帝国主義の時代」より始まる。「皇道の宣布・皇軍の精神は皇道を宣揚し国徳を布昭するにある」とするより、「日清・日露、戦益を守る」として、「大東亜共栄圏」・「アジアの盟主」を目指し、その後移住・派遣した「満蒙開拓団」などの「日本人の生命と財産を守る」ことより、いよいよ中国・アメリカ・ソ連を相手の、「大戦争」にのめり込んだ。そのことを、知らないのか。もう忘れたのか?!

 それらのことによって「異国の丘・島・他国の大地」に、多大の日本人の遺骨が今も眠るのではないか。それは日本人自身に「事の始め」があったのではないか。しかし、それを「自虐史観」と言うのだろうか。「自らの非を認めない」歴史観など、全くの、誰ぞの「ご都合史観」ではないか。

 「私」には反省材料として下記の事項が挙げられる。


1.日韓併合(朝鮮侵略、3.1独立運動弾圧・慰安婦問題)(大東亜戦争への端緒)、
 
2.日中戦争(南京・重慶爆撃、ジェノサイド疑義)

3.パールハーバー・ポートダーウィン空爆(太平洋戦争の端緒)

4.ノモンハン事件(ソビエト侵攻・独断専行の悲劇)

5.南方戦線拡大(資源簒奪)

6.「731部隊」(人道の罪・狂気)

7.「スマラン事件」(人道の罪・慰安婦問題)


 「ABCD包囲網 → 狭い日本にゃ住み飽きた → 進め一億火の玉だ → 万歳突撃→ 一億玉砕 → 沖縄戦 → 大空襲 → 二発の原爆」 

 これが「亡国の論理」であることに気づくのに、どれだけ多大の犠牲があっただろうか。そしてそれは「日本人」に限った事ではない。「中国」・「朝鮮」アジアの人々を、どれだけ殺戮しただろうか。この中で「百人切り」なども有った。

「日清・日露戦、海外権益」を守るためとして「異国の地」に骨を埋められた方たちは、皆が「尽忠報国」として「大東亜戦争・太平洋戦争」を、果たしてそれを望んだだろうか。
  
 凡そ今ある「平和国家・日本」は、戦後「約70年間」何処とも戦争せずに「富の蓄積」を計ったからだ。そこにあるのは「不戦の誓い・平和憲法」であった事を忘れてはならないだろう。



「朝日新聞の従軍慰安婦・誤報」とされるが「直後」都合の悪い事・文書は「焚書する・焼却する」のは常識だ。それが証拠に「白馬事件・スマラン事件」などが東京裁判で裁かれた。

 当時「日本軍・人」は、傲慢に堕ちてはいなかっただろうか。それが「女衒・業者が勝手にしたこと」で済ませられるか。

「伊藤博文暗殺」というなら「3.1独立運動への弾圧」は、問題ではないのか。「他人の家に土足で上がりこむ」そのことの意味は考えなくて良いのか。翻って「日韓併合」の意味は考えなくて良いのか。

「東京大空襲・二発の原爆」を謂うなら「重慶・南京爆撃・パールハーバー爆撃・オーストラリア爆撃」したのも「日本軍」が先だろう。そのことの反省が「不戦の誓い・平和憲法」にある。



 凡そ「何が原因か」と元を辿ること無しに、現象面のみ「あげつらう」事をしていても意味が無い。「愛国心」は、何処の国の誰にだってある、そのことに気づくべきだろう。



「彼らの悪逆非道」を笑うなら、自らの在り方を見直すことだ。彼らを「笑う」のは「同じ次元にある」ことに気づくべきだ。




■イスラム国 「女性は性の対象物」インド人元メンバーが供述…“性奴隷化”を知り組織を離脱
(産経新聞 - 05月21日 20:17)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=3428027
0 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する