まあ、東京新聞の記事を紹介するまでもなく、既にこの記事が、
『本稿では安倍首相が「何を」語ったのかについてより、「どのように」語ったのかについて注目したい。』
と、中身についてはスルーなのが失笑モノなんですけどね
【以下、書き起こし】
社会時評 吉見俊哉
安倍首相の米議会演説 同盟超える視点が欠落
ここまで米議会に気を使うのか。安倍晋三首相の米議会演説を聞き、まずそう感じた。学生時代のホームステイやニューヨーク在住の経験談から始め、「Abe」とリンカーンの愛称「Abe〈エイブ〉」の近似まで、米議会の保守派が喜びそうな話題を重ねていった。
首相は、日米戦が米国の若者の多くの命を失わせたことに「深い悔悟(repentance)」を、戦争全体には「深い後悔(remourse)」を表明した。外務省は後者だけを「痛切な反省」と訳したが、修飾語はどちらも「ディープ」で同じ、後者に特別の含意はない。
さらに首相は、戦後日本にどれほど米国が寛大であったか、贈られたヤギの頭数を数え上げて話し、経済と軍事両面での米国との同盟が日本の政策的機軸だと、祖父岸信介と自分を重ねて強調した。
文化面でも、ゲーリー・クーパーとキャロル・キングに言及し、自分の価値観がアメリカ文化と共に形成されてきたことをアピールした。
首相の演説は、いじらしいまでに米国に顔を向け、その米国を超える世界には目線が届いていない。たしかに米国は世界の権力ゲームの頂点にある。しかし、それを必要とし可能にしてきたのは、米国をも超えた資本主義世界の秩序である。日米がこの秩序が孕むリスクをどう克服していくのかという肝心の論点が、米国との一体化に熱心な首相の視界からは欠落している。
この安倍首相の徹頭徹尾親米的な演説は、米議会での各国指導者の演説の間でどう位置づくのか?それらの多くがネット視聴可能である。そこで観始めたらなかなか面白く、ハマってしまった。
安倍首相と対照的だったのは、3月にイスラエルのネタニヤフ首相がした演説である。イスラエル首相として8回目になるこの演説で、彼はイランの核開発をめぐって交渉を続けるオバマ政権を批判し、イラン空爆までも示唆した。
こうした露骨な攻撃性は御免蒙りたいが、同じく数多くの演説をしてきたメキシコ大統領も演説は具体的だった。5年前、メキシコでの麻薬撲滅の戦いに協力を仰ぎ、米国のメキシコ移民の困難を訴えた。
諸々の議会演説で、圧巻は2009年のドイツのメルケル首相だ。彼女も自分とアメリカの出会いを語ったが、安倍首相の3分の1以下の時間で、個人の経験から世界の歴史を展望していった。演説の後半も、何故米国と欧州が21世紀に連帯するのか、地球の未来を見据えて明晰に示す感動的な内容だった。メルケルはこのドイツ語の演説で、完全に上下両院を味方につけてしまった。
たぶん、安倍晋三首相の演説に最も似ていたのは、韓国の朴槿恵大統領が2年前にした演説だろう。朴も、朝鮮戦争での米軍の支援に感謝し、韓米の同盟関係に縁のある高齢の陪席者を紹介した。安倍も朴も冷戦期の支援を振り返ることで米国との紐帯(ちゅうたい)を確認し、経済や軍事の一層の同盟を主張した。
だが、それでも朴は、朝鮮半島の南北統一の希望について何度も語った。統一は朝鮮半島の明確な未来で、全世界の希望であると主張することで、彼女は米国中心になりがちな話を引き戻していた。
安倍首相が、ジョークだけでなく話の中身で朴大統領以上の「希望」を語る気なら、沖縄と東シナ海の未来について、米政府と中国政府、沖縄県民の三者に納得の行く言葉を紡ぎ出すべきだった。沖縄と東シナ海の問題は、朝鮮半島分断と並ぶ東アジア最大の課題である。解決策は難しくても、そこに重大な将来課題があるとの示唆はできたはずだ。
外交ではなく社交
それをあえて避けたところに、日本外交の陥穽(かんせい)がある。難しい面倒な話題は避けて通る。外務省官僚にはそれが得策でも、日本にとっては違う。米議会は、米国の政治的知性の集まりだ。外交的美辞麗句ではなく、米国が日本と共に何を考えるべきかを示す絶好の舞台だったはずだ。
明瞭な発言でゆっくり話すスタイルは悪くなかったが、肝心の中身で、沖縄については一言も語らず、米国への感謝と約束をし続ける演説は、社交であって外交ではない。
(よしみ・しゅんや=東京大大学院情報学環教授)
【書き起こし以上】
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■安倍首相の米議会演説は卓越していた!プレゼンとスピーチの極意が凝縮、批判は的外れ
(Business Journal - 05月19日 06:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=175&from=diary&id=3422783
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