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2015年05月17日14:03

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希望と自殺

「死にたい」とググってみたら、電話番号が表れる件について
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3419617

15-39歳の死因の1位が自殺。自殺に至るには「絶望」が必ずつきまとう。
絶望とは希望を失った状態であり、39歳を上限とした世代は「希望」と言うものを
知らない世代とも言える。

物心がついた頃から社会は不況にあり、バブルの熱狂を自ら感じる事もなく
社会に出され、増税に次ぐ増税、年金も貰えるかどうか分からない。しかし自由はある。
どのような人間になるか、なるべきか。そして「なるべきだ」と言う強迫観念も、
また自由の産物だ。

デュルケームは「自殺論」で、社会の規範や規則が緩んだ状況で起きる自殺を
アノミー(社会病理)に結びつけた。確かに自由主義ゆえの社会病理だが、
「過剰な自由」と「過小な希望」こそがその根幹だろう。我々は希望を知らない。

「自殺論」では不況下よりも好況下の方がアノミー的自殺が増えると分析されている。
自由と共に欲望も膨張し、求める自分とそうでない現実の自分の乖離に苦しみ、
死を選ぶ人が増えると言う理由だ。

しかしこれから日本の景気が良くなれば、年間3万人より更に増えるのだろうか?
1988年から年間3万人自殺していると言う事は、確かにバブル期をピークと
しているが、そこから不況に陥っても自殺者数は減ってない。
日本の場合は不況と言いながらも殆どの人が衣食住に困らず、その一方で
自由だけが膨張した。自殺論の分析からは逸脱した社会状況にあると言える。
20年も続いた「無希望」の社会心理を「インフレ化」するのは容易ではない。

この統計を裏読みすれば、39歳までの世代が求める「希望」の閾値は
バブル期から下がっていないと言える。しかし現実の現在では
生涯雇用も定期昇給も難しく、「将来は専業主婦になりたい」とか
「庭付き一戸建てを持って家族で幸せに暮らしたい」とか言う未来像は
描きにくい状況になっている。そうした希望が失われた状態にありながら
心のどこかで「希望の閾値」が下がっていないから、現実との乖離に苦しむ。
それに加えて、膨張した自由と欲望による脅迫観念。死ぬしかない。

であれば、現実の方を良くするしかない。個別の事情は知らんが
景気が良い方が全体幸福には良いし、自由の方を制限するのは間違っている。
また景気が良くなれば、「求める自分」になれるチャンスは広がる。
ただ最近の自殺者数が減っているのは、アベノミクスのお蔭ではない。
「希望」と言うものを知っている世代が相対的に増えただけだ。カッコよく言えば、
今の若い世代にこの「希望」を見せてやるのが景気浮揚の意義であり、
アベノミクスの使命と言えるだろう。

株価と実体経済は違う。保険や年金マネーが株価を上げているが
まだまだ中小企業は景気が悪い。アベノミクスのロードマップでは、これから
こうした中小にも好景気に沸く大企業の恩恵が広がるのだろう。
その為には、法人税を減らす一方でこれから何年もしつこく大企業の
ケツを叩いてベアを要請し、一刻も早く量的緩和に頼らない株価上昇を
実現しなければならない。大企業優遇と言う批判はつきまとうし、時間はかかるが
日本人は選挙でこの道を選んだのだ。希望の芽は少しずつ出始めている。
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