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2015年05月17日11:28

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愚民化政策の賜物ー感性の磨滅。 テロ・戦争・報復劇を楽しむ神経……。世も末だねぇ……(茶)。

 後藤健二氏ら邦人二名はISILに殺された。 安倍総理はISILを「煽り」二人を見捨てた。

 日本政府は二人を見捨てた。

 これより先に安倍首相の中東での活動が在った。

◆『イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。』
◆安倍総理大臣の中東政策スピーチ−2015年1月17日 於・日エジプト経済合同委員会(一部抜粋)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me1/eg/page24_000392.html


 と、見事に世界中のニュースとして駆け巡り、この三日後に「ISIL・身代金二億ドル要求・邦人二名殺害予告」のニュースが流れた。確認はできないが、その頃「ISIL」はまだ日本を標的にはしていなかったようだ。また後藤氏も一時期「捕虜交換」のためなのか「トルコ国境」に送致されていたとか。

 時に総理は「テロに屈せず・テロと戦う」を連呼する。「闘う」がどう文字化けしようが、「ISILと闘う」と米国を中心とする処の国際社会に向けて発表し続けた。『命は地球より重し』と「邦人二名を救うための緊急会見・国際報道」など、微塵も考えなかった。「テロの増殖を喰い止める」ためだとさ。

 そして「邦人二名惨殺・死体映像」ー「テロリスト許さず・テロと戦う」ー『「自衛隊の武器使用権限を拡大する・「任務遂行のための武器使用」も認める』ー「集団的自衛権ー安保体制強化ー軍備増強ー憲法改悪」

 そう、「敵」との力学バランスの上を行く「抑止力の効果の上にある平和を求める」−「平和主義」なのだ。よってこれより日々、国会審議で成されていることは日本の軍事大国化に他ならない。


「抑止力」 プロレスラーに喧嘩を売るバカはいない」だってさ。

だったら「9.11テロ」は何なんだい?!


 まったく、これよりは安倍総理のシナリオ通りに、事は進んでいる。「アベノミクスー富国強兵策」は日々貫徹されている。野党は抵抗勢力すら形成できないでいる。

 無人飛行機で爆撃するのは「対テロ」対応ではなく、まさに「戦争だ!」よって軍備増強が急がれる。大使館の強化・情報員の配置・日米軍事の一体化、凡そアメリカマン=「ネトウヨ・軍事オタク・カルト諸君」の希望が積み上げられることとなる。それが「日本のあるべき姿」だと思い込んでいる。それが現実的だと短絡的に見ている。

 ここで見るべきは★二人を生贄にしておきながら「敵を作り上げて、安保法制ー対米従属軍備増強ー憲法改悪」という手法だ。平和憲法を「換骨奪胎ー空洞化」してのちに踏みにじることだ。



 およそ後藤健二氏・湯川遥菜氏は、日本政府の政治過程の上で人身御供にされたのだ。これは「未必の殺人」とも言える事柄だ。よって「人命は地球より重し」の政治判断が以前にはあったのだ。 

 しかしながら安倍総理が二人の日本人・人質に関心を示すことは無く、対米従属パフォーマンス「テロリストとは交渉しない・テロと戦う」ー国際社会一般論を繰り返し、結果二人の人質は残忍な殺戮方法で死を迎えることとなった。

 ISILのジハーディ・ジョンは「8500kも離れて……」ともしていた。そして明確な「対日本人ーテロル宣言」を発した。


★『日本政府よ。

 邪悪な有志連合を構成する愚かな同盟諸国のように、お前たちはまだ、我々がアラーの加護により、権威と力を持ったカリフ国家であることを理解していない。軍すべてがお前たちの血に飢えている。

 安倍(首相)よ、勝ち目のない戦争に参加するという無謀な決断によって、このナイフは健二だけを殺害するのではなく、お前の国民はどこにいたとしても、殺されることになる。日本にとっての悪夢を始めよう』★



 逆を言えば、この時、彼の口ぶりより察すれば「安倍総理・カイロ発言・二億ドル支援表明」が無ければ、後藤健二氏の死もなく、そして、これにより日本国民は、誰彼なく彼らの「標的」になることとなった。どちらも「取り返しのつかない」ことになった。

 イスラム過激派が「出物腫物ところ選ばず」で発生するなら、「居合わせた日本人」は、たまったもんじゃない。海外旅行なんて危なくてできない。

 特に中東で仕事をしている石油関連事業者や商社マンは「格好の標的」と看做されるだろう。今や「世界に羽ばたくビジネスマン」はイスラム過激派の恰好の標的とされるだろう。



 ここに「日本の平和主義」がどれだけ「商売に有利」であったかを、日本人は思い起こすべきだろう。いえいえ 「戦争はもっと儲かる・産軍複合体で稼ぐ」とでも言いたいんだろうけれどもね。

 イスラエルまで行きながら「パレスチナの子供たち」には眼もくれなかった安倍総理がISILに敵視されても無理はない。しかし日本人総体すら敵視されるようになった。これは問題だ。

 しかし、この事態は「軍国主義化・軍備拡張を望む「朝鮮戦争・ベトナム戦争で銭儲け」した日本の財界・政界には「嬉しい出来事」に違いない。「テロリストと戦うーアメちゃんと肩組んで、軍備増強ーみんなで楽しい銭儲け!」ということだろう。よって安倍総理はユダヤ教の信者のような黒い帽子まで被ったのだろう。



 「テロリスト=悪逆非道」」−我が国では「イスラム過激派・極悪人説」が罷り通っている。彼らを作りだした第一次大戦後の「先進国によるアラブ処理(サイクス・ピコ協定やバルフォア宣言など)」や「南北間格差」などは問題にもされない。

 彼らのテロは「野蛮だ・非道だ」が一般見解とされ、また中共の軍事大国化もあり、「日本も相応に備えるべきだ」という意見が「あたりまえだろ」となってきている。およそ一般世論もメディアも「ゲリラは極悪非道」と決めつけ「テロより日本人を守るー戦争を準備する」ことに不思議を感じていない。これが安倍総理を後押しする。「軍備増強・安保強化」へと向かわせる。

 しかし「材料の全てをまな板の上に上げて」語ることもせず、「双方の言い分に耳を傾ける」こともなく、「メディアの流し続ける一方的な情報」を鵜呑みにして「テロリスト―悪逆非道」とするのは、如何なものか。

 確かに「悪逆非道」なのではあるのだが、よっていきなり「爆弾の雨」も無茶ではないか。もう「あちらでの戦争」は終わりかけてはいるのだろうが、逆に「投降者の私刑・虐殺」は増えているのじゃないか。



 また「西側や有志国連合の情報ーニュースの鵜呑み」は、如何なものか。「IS・ボコハラム・タリバンなどなどー極悪非道」はニュースに良く流れるが、★有志国連合軍の方が、遥かに優位に「作戦」を展開していることだろう。ここにイランも参加するのだから「中東の政治過程」は理解に苦しむこととなる。

 その累々たる死体を数えれば、きっとゲリラ達より数も多いに違いない。ピンボケ爆撃を繰り返しては、無辜の女や子供たちや老人たちだって殺してることだろう。「アラブの大地で、アラブ人同士で闘わせるー分裂支配・以夷制夷」ってこと。

 例えばそれが中国や北朝鮮での「ミサイル戦」を想定するのであっても、しかし、それ以前の「外交」−国際政治の在り方や、「国際政治家の不在」などが問題なのではないか。これらは「以前に手を打つ」ことができるのではないか。

 例えばそれが北朝鮮・金王国の「日本人拉致」問題にしても、あちらでは「スパイ一人送り込めない」だろう。(すぐに見つけられる)「被害者たち」の居所さえ掴めない。「軍隊、送れ。やっつけちゃえ」なんてしてしまうと逆に「殺され」てしまうだろう。相手が相手だと「砲艦外交」にも無理がある。だからここに強力な能弁な「政治・家」の出番なのだ。けれど、誰もいないみたいだな…。(悲!)

 そして「世界に冠たる日本」は、「中立の立場に立ち、判断を下すー積極的平和主義」であるべきではないだろうか。「普遍的正義」とは「正義の意味」が、世界各国・国民ー民衆の前に明らかにされ、「評価を得る」ということだ。



 今、日本では、国会では「限定的な、一方による既成事実の積み上げ」で、「有志国連合+日米安保」で、イスラム過激派や世界中に散在する「反乱軍・反政府軍・反米主義者」を、また国内の過激派と「流血の戦い」を戦おうとしている。 

 これは、見方を変えれば「悲しみと憎しみの連鎖・坩堝」を際限なく巨大化させていこうとしているということだ。

 しかしここで、私たちが守ろうとする「戦後平和主義」と「政府の平和主義」とは、大きく違う。「平和・自由・民主主義・繁栄・安全などなど」が「銃と核」によってしか守られない、手に入らないとするならば「全く人間を信じていない」唯銃(核)主義と成り果てる。

 私たちが戦後70年積み上げて来たものは、それは「憎しみの連鎖を断ち切る平和主義」である。そう「後藤健二氏の活動」がその端的な一つの現れだ。(彼が亡くなり、「シリア・イラク情報」実情など、もう知る由もない)



 武力の『武』の字は「二つの矛の交わりを止める」と書く。その意味である。よって武力の本来的意味は「積極的平和主義」のことである。もしくは「二つの矛の交わりを止める」武力であるだろうか。

 それは平和外交ー政治・討論による認識と互いの肯定ー「仲良くしよう・半分こしよう」のことであるだろう。そして私たちが思うのは,N・マンデラ氏の言葉であり、これが「積極的平和主義」の基本であるだろう。

「勇気ある人は平和のために許すことを恐れない」

「報復するよりも情けをかける方が、この世界ではより多くのことを成し遂げられる」


 そう、私たち日本人が言うべき平和主義は、本来は戦後憲法前文にあるような、その意味で過去の戦争を反省して後の「普遍的正義と平和」の事柄であるはずだ。

 それが「戦後平和憲法・焼け跡民主主義」として生きて来た。そしてそこにあるのは「不戦の誓い」であった事を忘れてはならないだろう。

「戦後70年・敵を作らないー平和国家建設」そのブランドこそが、日本の繁栄の秘密であり基軸であり、それが世界の人々よりの信頼と称賛を勝ち得たのだと考えている。

 凡そ「武力に頼らず、相手と話し合い、問題を解決する」 それが「政治巧者」というものだ。「殴り合って、話を着ける」のはチンピラ次元の政治家というものだ。

 凡そポットン便所の蛆と蠅を追う行為ではなく「便所そのもの」の改良を行うのが平和主義というものだ。 民間のボランティアたちはそれを意志する。

 シビリアンコントロールは「文民統制」と訳されるが「イケイケ政府ー富国強兵」自民党と法華経精神に裏打ちされながら「戦争は悪だ」と言えない仏徒ー公明党では文民統制も、どこ吹く風でしかない。

 そして尚も「砲艦外交は、政治家としての敗北」とは考えないようだ。

   それでは何のための「国際・政治・家」なんだ?!



 日本国憲法「前文・一部抜粋」ではあるが「初文の位置」に下記のようにある、

『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する』

 およそ戦後すぐに「今の国会状況を危惧するかのよう」に明確に記している。これを政治家たちは一部を除いて、足蹴にしていると見るのは「私だけ」ではない。実に国民の多くがその危惧を抱いている。しかしその声の、国会に届くのは無いようだ。



「いいや日本の平和は、アメリカの、おかげ…」 
                   
        それで一緒に「仲良く戦争しよう」は、勘弁してくれ!



 私、私たちは『我々日本人こそ世界平和を築く中心勢力となるべき』ではなかろうか。



 それとも「政府の積極的平和主義」で「対米従属軍備増強ー富国強兵策」に協力して、

        いよいよ「憎しみの連鎖」にずっぽりと身を漬け込むことだろうか。










 



■米特殊部隊がIS幹部殺害、妻を拘束 シリアで強襲作戦
(朝日新聞デジタル - 05月16日 23:52)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3420009
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