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2015年05月16日12:24

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「平和憲法理念・不戦の誓い」は「二発の原爆・大都市消失・沖縄地上戦→本土決戦」の火中より生まれた。

日本の防衛を「米国の傘(核と銃)の下」で考えるな!

 「他者を頼るは、他者にへつらう……」−対米従属亡国論より、独立せよ!





まず「国際政治家の不在」を見よ!

 「金」のミサイルが緊急課題なら「本土防衛ーアイアンドーム(迎撃ミサイルシステム)」を考えよう!

 米国主導「平和安全法制」と「中国・北朝鮮」ー武力対応想定の短絡思考「積極的平和主義」を笑う!

 まったくの「敗北主義的発想」じゃないか。

 日本人がここまで虚仮にされて何が「右翼・タカ派・硬派」だ。笑わせるな!

 日本人なら「竹槍もって……」だろ。ベトコンたちを知らないのか。

 この日本の大地に「夥しい血が流れた」からこそ、尊いのだ。沖縄もそうなのだ。



※「平和安全法制」に関するQ&Aを眺めた。

 
 以下、つらつらと見てみれば「日米同盟ー対中・対北朝鮮」が見えて、「NATO」などの西洋先進国連合軍ー有志国連合軍などが見えてくる。

 その中に日本を位置付けていくことだけが「日本の未来」だと、国民を誘導しようとする。

 そこにあるのは「自民党型・日米共同幻想」ともいうべきものであって、「人類の英知」よりは離れたモノであることに気づくべきだ。



「先の大戦で負けたのは、ナチス・ファシストと手を結んだから…」ではない。

 日本の「帝国主義論理の破産ー行く末」であったことに気づくべきだろう?!


「抑止力」ー プロレスラーに喧嘩を売るバカはいない」だってさ。

  だったら「9.11テロ」は何なんだい?!

 そのプロレスラーは「あちこちで恨み」を買ったヒールじゃないかい?!


 
「抑止力」よりは「国際政治家の不在」を脱落させ「パワーバランス」などとゲームのように言う。

 今時政治家・官僚の言語感覚には「国民は生かさず・殺さず・貢させろ」の下心さえ見える。

 ベトナムは「ソ連の後押し」があったとはいえ「前近代的兵器」で、アメリカと中国を肉弾戦によりベトナムより放逐したのを「君たちは知らないのか…」

 「独立する・勝ち取る」とは、そういうことだ。そこに流れた血こそ尊い。 



 中国の南洋進出も想定するが中国だって「海に面して」国土が有る以上「海洋権益」を主張もするだろう。しかしそれは「国際政治」で解決すべきことだろう。

 そんなに中国・北朝鮮・ロシアを恐怖するなら「日本を電子兵器・ミサイル大国」にすれば……。

     しかし乍ら、早くその「愚か」に気づけ。



 例えばそれが中国や北朝鮮での「ミサイル戦」を想定するのであっても、それ以前の「外交」−国際政治の在り方や、「国際政治家の不在」などが問題なのではないか。

 これらは「以前に手を打つ」ことができるのではないか。

 北朝鮮・金王国の「日本人拉致」問題にしても、あちらでは「スパイ一人送り込めない」だろう。(すぐに見つけられる)「被害者たち」の居所さえ掴めない。

「軍隊、送れ。やっつけちゃえ」なんてしてしまうと逆に「殺され」てしまうだろう。

 相手が相手だと「砲艦外交」にも無理がある。

 だからここに強力な能弁な「政治・家」の出番なのだ。けれど、誰もいないみたいだな…。(悲!)

 それを軍事力・日米安保ー抑止力に置き換えるなんて、論理飛躍に気づかないのかい?!



 凡そ安倍総理も多くの日本国民も「政治と軍事」を同一視している。

  日本の「張子の虎」を安売りすることが、果たして抑止力たりえるのか。

 でないとすれば「やっつけてやる!」として本腰入れて「戦争する」のか?!

   それでは本末転倒だろう。



「日本国憲法」を「ポツダム憲法」として「アメリカよりの押しつけ」とされるが、そうではない。

 そのことの傍証として「丸山眞雄」氏の一説を引く。


『……念のために言えば新憲法草案要綱が内閣から発表されたのは1946年3月6日、衆議院に上程されたのは6月25日であり、その夏一杯を費やして審議修正の結果、8月24日、貴族院では世人の記憶に残る学者グループと政府当局者との論戦の後、10月7日貴族院本会議を通過、同日衆議院が再修正に同意し、かくて11月3日公布、翌1947年5月、華々しい祭典裡に施行されました。

 このきわめて簡単なクロニクルを対比しただけで、「あの当時は米ソの対立が予想されなかった」・「国際関係はまだ平穏だった」とかいった弁明を、いやしくも責任ある政治家や学者が言える筋合いのものでない……。

 私たち日本国民が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようとする決意」して、一切の武力を放棄し、「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」(憲法前文)ったのは、決して四海波静かなるユートピアの世界に於いてではなく、米ソの抗争が無論今日ほど激烈でないにしても、少なくもそれが世界的規模において繰り広げられることが十分予見される情勢の下に於いてだったのです。

 こうした情勢にも拘わらず敢えて非武装国家として新しいスタートを切ったところにこそ新憲法の画期的意味があったと少なくも私は記憶し理解します。』

(現代政治の思想と行動ー未来社 p.183)



 実に戦争よりの欠乏と疲弊の中、「焼け跡派」日本人・庶民は勇敢であった。逆を言えば「日本の独立」をGHQ占領下であっても「自らの権利と平和」を希求した。実に「竹槍もって、エイエイオー!」だ。親を亡くした、子を亡くした。友を亡くした、夫を亡くした、「焼け跡の女たち」は逞しく生きた。現代のひ弱な若者と出来が違う。

 そして、いやしくも「国民の負託」を受けた政治家が「国会承認」された日本国憲法を「頂き物」と言うなかれ。ならばその当時の「国会」で、政治家は何をしていた?!」となるではないか。


 
 北朝鮮のミサイルが怖いなら「本土防衛ーアイアンドーム(迎撃ミサイルシステム)」を考えれば良い。

 中国の軍事海洋進出・違法操業が問題ならば「政治力」を使えばいい。しかし「一帯一路・AIIB」は日本を「蚊帳の外」に追い出してくれていることを忘れちゃならないよ。(地政学的位置を見よ)

 要は「この二国」に足りないのは指導者の「国際認識」と「算盤」の問題だ。

★「平和安全法制」だから「Q&A」は「日米安保・武力行使」に終止する。

 しかし本当は、国際政治に必要なのはこの二国の指導者と「話し合える」政治家の存在が問題なのだ。



 実に日本に「国際政治家の不在」が問題であるのだ。

 それを無視して「安保法制」が語られる。何故か。



 しかしながら安倍総理にあるのは「産軍複合体の発想」だろう。なんたって「……JAPAN」モノ作りの国だから。

 しかし「死の商人」にまで成りたいのかい。

  安倍総理の、イスラエルでのラビのように「黒い小さな帽子」を被ってみたいかい。

 私なら、絶対「拒否」させてもらうけれどね。






■「平和安保法制」名称で攻防 与野党、イメージに差
(朝日新聞デジタル - 05月16日 05:16)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3418994
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