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2015年05月15日16:50

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物言わぬ歴史の証言者

身近な所から太平洋戦争を知る・体験する仔グマ流「大東亜戦争ダークツーリズム長崎原爆編」

今年は戦後70年。
長崎原爆投下から70年です。

GWに長崎原爆爆心地を巡りましたので、ご紹介致します。


●下大橋
爆心地から北西約510m

長崎原爆爆心地のほぼ中央を南北に分断しているJR長崎本線と浦上川。
僕はその西側部分を北上する形で被爆遺構巡りをしていて、次に東側に渡ろうと、ビッグNスタジアムという大きな球場付近で浦上川に掛かる「下大橋」を渡っていた所、橋の欄干に銅板が埋め込まれ、こんな説明文がありました。


1945年8月9日午前11時2分、松山町上空で炸裂した原子爆弾の強烈な熱線と放射能と爆風によって橋の欄干は半分を吹き飛ばされ、橋脚は崩壊し、橋の上には、くすぶり続けている衣服をまとった人や、熱線で皮がぼろ布のようにたれ下がった人々が、小江原、式見方面へ逃れようと殺到してきた。
この浦上川には逃げ場を失った人や、末期の水を求める人々が群がり、そのまま絶命していった人の死体が何千体となく浮いていた。
その惨状は想像を絶し、筆舌に尽くし難いものがあったという。
今ここに新橋の架橋に際し、亡くなっていった人々の冥福を祈るとともに、全世界の核兵器廃絶と世界平和を祈念しつつ、この説明板を設置する。

昭和56年3月 長崎市長


何気なく通ろうとしていた普通に見える橋は、あの惨状を静かに見ていたのです・・・。





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