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2015年05月15日02:46

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「憲法前文・憲法九条」を守ろう! 「不戦の誓い」を想い起せ!

「憲法前文・憲法九条」を守ろう! 「不戦の誓い」を想い起せ!

 「国際平和支援法」(恒久法)・「国際平和共同対処事態」規定による「富国強兵」策ー安倍政権の軍国主義化を指弾する。


 
 祖国のために散華した「英霊たち」また「多大の戦争犠牲者たち」は、現在国会に於いて進められる政治過程をどう見ているだろうか。
 
 果たして、先の大戦・戦禍で亡くなった全ての人たちが、再び「栄ある大日本帝国」の再来・再建を望むだろうか。



 私、私たちの望むのは「平和国家」であり、「民主主義国家」であり、日本の政治としては「平和主義・路線」であり、「戦争をしない国々・世界」を、望んでいるのではないか。

 ウクライナの戦闘で涙に暮れた老婆が「……なにより、平和が欲しい」と言っていた。同感だ。



 私自身は「日本の独立・永世中立」を願う。よって自衛隊は国防軍であり「日本領土・国民を守る」とする。

 よって「海外派兵・武器売却」などは認めない。「専守防衛」で良い。「国防軍が他国にいる」と誤解が生まれやすい。



 およそ片方の口で「積極的平和主義」と言い、片方の口で「軍事協力」を言い中東での有志国連合諸国に大金をばら撒き、イスラエルにF−35などの部品供給するような「敵を作り、敵よりの守り」を言うのは、全くの詭弁であり間違っていると思う。

 今まで日本人は「テロに巻き込まれる」ことはあっても「テロの直接標的になる」ことはなかったのだ。「日本赤軍ー岡本公三ーテルアビブ事件」により、アラブゲリラ達さえ「日本人」は識別し、時には尊敬さえしてくれていた?!  もう「気楽に世界旅行」など考えられなくなった。

 今国会で、総理は「反動を生みつつ、反対意見などを踏み潰し、冨国強兵策を貫徹する」と言ってのけているように見える。

 今は「平和国家日本の危機」なのだ。



 武力の『武』の字は「二つの矛の交わりを止める」と書く。その意味である。よって武力の本来的意味は「積極的平和主義」のことである。もしくは「二つの矛の交わりを止める」武力であるだろうか。そこには人類普遍の正義があるべきだ。またそれは「平和外交」ー政治・討論による認識と互いの肯定ー「仲良くしよう・半分こしよう」のことであるだろう。

「戦後70年・敵を作らないー平和国家建設」そのブランドこそが、日本の繁栄の秘密であり基軸であり、それが世界の人々よりの信頼と称賛を勝ち得たのだと考えている。



◎ならば、私たち日本人が言うべきは「普遍的正義と平和」の事柄であるはずだ。



 私たち日本国民の歴史を振り返れば……、大航海時代以降の帝国主義の勃興、18世紀ー産業革命の成功により欧米列強は世界各地に植民地を求めた。アジア・アラブ・アフリカ・中南米などは「近代兵器」戦法の前に為す術が無かった。それ以前は「奴隷制・人身売買」そしてこの頃には「帝国主義ー植民地争奪戦・支配」となる。

 西洋列強が中国・清に目の向く間、日本は「脱亜入欧」を目指し、明治維新・大日本帝国の成立の形を成した。そして「日清戦・日露戦・日韓併合・満州事変(大東亜共栄圏ー満州国)・連盟脱退2.26・日中戦争・ノモンハン(対ソ戦)・太平洋戦争」へと国民総動員しながら、「沖縄地上戦・大空襲・二発の原爆(人体実験)→敗戦」米国下GHQ占領統治を受けるに至った。

「神国日本・八紘一宇・大東亜共栄圏」の発想にあるのは帝国主義の理念であり、戦時スローガンとしては「ABCD包囲網 → 狭い日本にゃ住み飽きた・王道楽土 → 進め一億火の玉だ」そして 「万歳突撃→ 一億玉砕」へと向かっていった。これが亡国の論理でなくて何だろうか。



 日本という国は大東亜戦争の敗北を受けるまで「他国による侵略・占領」など体験したことが無かった。日本の軍隊が外敵より国家を守るが為「日本軍」の呼称も不思議でもなんでもなかった。

 しかし「一億総懺悔」の無念さと「占領軍GHQ」支配による恥辱も知るなら、まして「廃墟と化した日本」を見たなら「平和への希求」は当たり前の事の筈だった。


 だが、今はどうだろうか。


 近頃は「ネトウヨ」などと「日ノ丸掲げて」好き放題言う若者たちが増えている。若者たちは「永遠のO、ウィンズ・オブ・ゴッド、風立ぬ」などで「戦争・末期の切り取り」で、簡単に愛国精神を鼓舞されてしまうようだ。彼らは切り取られた現象面をあげつらい「木を見て森を見る」ことが出来ないようだ。「ものの始め」を見ようとしていない。

 彼らも「私も・私たちも」涙する「神風特攻隊」は太平洋戦争末期末期にあったのだが「ゼロ戦」は一式陸攻(中攻)と共に中国の重慶・南京爆撃に護衛機として参戦している。日本の「大空襲」以前に、中国の人々の頭の上に爆弾をばら撒いていたのは日本軍だ。これとアラブでの「無差別テロ」と、どこがちがうというのだ。

 日本軍は欧米列強よりの「アジアの解放」を言いながら、しかしながら、「したこと・やったこと」は遅れた「アジアの植民地化・支配の貫徹」でしかなかった。当初はネールもガンジーも「解放軍」と見ていたらしい。けれどその後に「相当酷い事」しているから中国・韓国などで「反日運動」が盛り上がってしまうのだ。



「風立ぬ」にしても「兵器としてのゼロ戦」の姿を見ようとしない! 戦争の「総体」を描いていない。だからノミネートされても、受賞などする訳がない。ただ「飛行機野郎」へのレクイエムとセンチメンタルに終止してしまった。飛行機の残骸を描くなら「登場員の死・民間人の死」もあるだろう。

 それらの若者たちは「自爆テロと特攻とは違う」と言うが、この頃「風船爆弾(こんにゃく爆弾)」まで飛ばして「鬼畜米英、憎し!」としたのは「分けてけて考える」ことだろうか。あれだって飛行船だぞ。

 逆を言えば「特攻・ゼロ戦」の前にあるのは米国艦隊・空母であり、そこは≪海の上≫であり一般市民など巻き添えに出来もしない。しかしながら、仮にいたとしても「鬼畜米英」であったなら「皆殺しにしたい」気持に駆られただろう。それが戦争の狂気・憎悪の連鎖というものだ。



 よって本来、日本の総理大臣が国会や国連で言うべきは、N・マンデラ氏の言であるだろう。

「勇気ある人は平和のために許すことを恐れない」

「報復するよりも情けをかける方が、この世界ではより多くのことを成し遂げられる」

「人は憎しみを学べるのなら、愛を教えてもらうこともできるはずだ。なぜなら、人の心にとって愛することは憎むことよりも自然なことだから」



 先の大戦で亡くなった全ての人たちが、再び「栄ある大日本帝国」の再来・再建を望むだろうか。安倍政権の「栄えある日本」を望むだろうか。

 なのに政府自民党・公明党は「敵を作り出し」戦争の準備を始めようとしている。「国際平和支援法」(恒久法)・「国際平和共同対処事態」との概念を国民の前に提示しようとしている。



 シビリアンコントロールとは「文民統制」と訳されるが「イケイケ総理・政府ー富国強兵」自民党と法華経精神に裏打ちされながら「戦争は悪だ」と言えない仏徒ー公明党では文民統制も、どこ吹く風でしかない。

 そして「砲艦外交は、政治家としての敗北」とは考えないようだ。それでは「ヤクザ」の方法論じゃないか。何のための「国際・政治・家」なんだ?!



「アメリカなら大丈夫だよ」の判断だろうが、如何なものか。

 20世紀だけで「我が国との対戦」も含めて、好戦国として、(21世紀は略)

 アルゼンチン・チリ・ハイチ・ハワイ・ニカラグア・中国・朝鮮・パナマ・フィリピン・キューバ・プエルトリコ・グアム・ホンジュラス・サモア・ドミニカ・ハイチ・メキシコ・ドイツ・ユーゴスラビア・グアテマラ・エジプト・レバノン・トルコ・エルサルバドル・イラン・ウルグアイ・ギリシャ・プエルトリコ・ベトナム・ラオス・インドネシア・アンゴラ・リビア・レバノン・グレナダ・ボリビア・バージン諸島・リベリア・サウジアラビア・クウェート・ソマリア・ボスニア・ハイチ・クロアチア・ザイール・リベリア・アルバニア・スーダン・アルバニア・アフガニスタン・イエメン・マケドニア

 と、そりゃもう「政治的暗躍・恫喝・内乱誘発・クーデター関与・大統領暗殺・傀儡政権樹立」などなどと「世界の保安官」ぶりを発揮している。

 およそインディアンを虐殺するなんて平気だし「黒人射殺」もポリスなら、あ・た・り・ま・え! 組合集会・デモ・暴動鎮圧に軍隊の出動も日常茶飯事のお国がら。



 だから日本が副保安官として名乗りを上げるなら、相当の「出費と流血の覚悟」は必要だ。

 まして自衛隊の皆さんが外地に赴くなら「敵は区別しない」だろう。そして後進国と雖も「国家」として国連に名を挙げるなら「主権問題」がそこにはある。おいそれと「日本人救出」に自衛隊員が緊急救援なんて無いだろう。

 ★また、東日本大震災の時、「トモダチ作戦」などと現地救援を言いながら、「福島原発事故」の発生を知り、彼らが、「即・Uターン」したことを、もう忘れたかい?! 安全確認して後の、再度のゴーサインだった。



 安倍総理がこのようにして軍国主義化を急ぐのは、「湯川氏・後藤健二氏の惨殺」が「契機」であり、我が国総理の、発言と行動であったことを忘れてはならない。日本国民に対しての「テロル宣言」が出たからだ。

◆『イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。』
◆安倍総理大臣の中東政策スピーチ−2015年1月17日 於・日エジプト経済合同委員会(一部抜粋)

 この三日後に「ISIL・身代金二億ドル要求・邦人二名殺害予告」のニュースが流れた。ここで日本国民・政府に対して、ジハーディ・ジョンの「テロル宣言」が出て来た。

 時に総理は「テロに屈せず・テロと戦う」を連呼する。「闘う」がどう文字化けしようが、「ISILと闘う」と米国を中心とする処の国際社会に向けて発表し続けた。「邦人二名を救うための緊急会見・報道」など、微塵も考えなかっただろう。

 そして後、「国会答弁」をニュースなどで見る限り、「★為政者による未必の犯罪」を誰一人として暴くものも無かった。よって「人命は地球より重し」の政治判断が以前にはあった。これが今の日本の国会なのだ。軍靴の響きが聞こえないかい?!

「邦人二名、テロリストにより惨殺」されることよりも、一億二千七百万人の「毎日、飯を食う」事に比べれば些細な事なのだろう。そりゃ、こっちのほうが大切だろうけれども。



 為政者たちはゲリラによる「二人の惨死」を理由とし、これよりテロ対策・邦人救出を理由とし「集団的自衛権ー安保体制強化ー軍備増強ー憲法改悪」へとシナリオ通りに進めている。

 そりゃそうだろう。日本のビジネスマンは中東ばかりでなく世界中に展開しているし、またイスラム過激派も世界中に展開しようとしているのだから……。

 しかしながら「敵を作り出し、軍備増強ー安保法制ー改憲論議」は、如何なものか。

 メディアによる調査では、日本国民の「四分の三」近くが軍国主義化に反対しているというのに……。



 けれども、我が国では「イスラム過激派・極悪人説」が罷り通っている。

 彼らを作りだした第一次大戦後の「先進国によるアラブ処理(サイクス・ピコ協定やバルフォア宣言など)」や「南北間格差」などは問題にもされない。

 彼らのテロは「野蛮だ・非道だ」が一般見解とされ、また中共の軍事大国化もあり、「日本も相応に備えるべきだ」という意見が「あたりまえだろ」となってきている。

「テロリストたちの言い分を聞く・話し合い」など全く考えもせず、「壊滅・殲滅する」とオバマ大統領の言う。ならば各国首脳も「頭〜右」となりはてる。彼らを「鬼っ子」に仕立てて「アラブ原住民」を放逐してゆく。これは、まるで西部劇を見るかのよう。、



 およそ一般世論もメディアも「ゲリラは極悪非道」と決めつけ「テロより日本人を守るー戦争を準備する」ことに不思議を感じていない。

 およそ「材料の全てをまな板の上に上げて」語ることもせず、「双方の言い分に耳を傾ける」こともなく、「メディアの流し続ける一方的な情報」を鵜呑みにして「テロリスト―悪逆非道」とするのは、如何なものか。 また「有志国連合の情報・ニュースの鵜呑み」は、如何なものか。ここに「戦場ジャーナリスト」の存在意義・必要がある。「有志国連合」だって「死体の山」を積み上げてるさ。「悲しみと憎しみの連鎖」を増大させているだろうさ。

 例えばそれが中国や北朝鮮での「ミサイル戦」を想定するのであっても、それ以前の「外交」−国際政治の在り方や、「国際政治家の不在」などが問題なのではないか。これらは「以前に手を打つ」ことができるのではないか。

 北朝鮮・金王国の「日本人拉致」問題にしても、あちらでは「スパイ一人送り込めない」だろう。(すぐに見つけられる)「被害者たち」の居所さえ掴めない。「軍隊、送れ。やっつけちゃえ」なんてしてしまうと逆に「殺され」てしまうだろう。相手が相手だと「砲艦外交」にも無理がある。だからここに強力な能弁な「政治・家」の出番なのだ。けれど、誰もいないみたいだな…。(悲!)



 「二発の原爆」をもらってしまったこともあるが、

 私、私たちは『我々日本人こそ、世界平和を築く中心勢力となるべき』ではなかろうか。

 そこに「憲法前文・九条・不戦の誓い」を据える意味があるのではないか。

 またそれは「問答無用」ではなく、

 それこそ「相手に語り掛ける」事より始まるのが「政治」ー「積極的平和主義・外交」だと思う。


  およそ軍事力に頼るのは「政治家の敗北」と言って良い。知恵が無いから手が出るのさ。


 「日本国憲法」を「ポツダム憲法」として「アメリカよりの押しつけ」とされるが、そうではない。そのことの傍証として「丸山眞雄」氏の一説を引く。


『……念のために言えば新憲法草案要綱が内閣から発表されたのは1946年3月6日、衆議院に上程されたのは6月25日であり、その夏一杯を費やして審議修正の結果、8月24日、貴族院では世人の記憶に残る学者グループと政府当局者との論戦の後、10月7日貴族院本会議を通過、同日衆議院が再修正に同意し、かくて11月3日公布、翌1947年5月、華々しい祭典裡に施行されました。

 このきわめて簡単なクロニクルを対比しただけで、「あの当時は米ソの対立が予想されなかった」・「国際関係はまだ平穏だった」とかいった弁明を、いやしくも責任ある政治家や学者が言える筋合いのものでない……。

 私たち日本国民が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようとする決意」して、一切の武力を放棄し、「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」(憲法前文)ったのは、決して四海波静かなるユートピアの世界に於いてではなく、米ソの抗争が無論今日ほど激烈でないにしても、少なくもそれが世界的規模において繰り広げられることが十分予見される情勢の下に於いてだったのです。

 こうした情勢にも拘わらず敢えて非武装国家として新しいスタートを切ったところにこそ新憲法の画期的意味があったと少なくも私は記憶し理解します。』

(現代政治の思想と行動ー未来社 p.183)



 実に戦争よりの欠乏と疲弊の中、「焼け跡派」日本人・庶民は勇敢であった。逆を言えば「日本の独立」をGHQ占領下であっても「自らの権利と平和」を希求した。実に「竹槍もって、エイエイオー!」だ。親を亡くした、子を亡くした。友を亡くした、夫を亡くした、「焼け跡の女たち」は逞しく生きた。現代のひ弱な若者と出来が違う。


 そして、いやしくも「国民の負託」を受けた政治家が「国会承認」された日本国憲法を「頂き物」と言うなかれ。ならばその当時の「国会」で、政治家は何をしていた?!」となるではないか。


 パワーエリートたちが、いよいよ世界と人間を蝕みはじめる。「平和=パワーゲーム・バランス」ではない。ぽっとん便所の蠅を追う行為ではなく、便所そのものの改良・改善であるべきだ。




■「戦争支援だ」「憲法守れ」=安保法案に500人抗議―首相官邸前
(時事通信社 - 05月14日 12:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3415761
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