mixiユーザー(id:7146920)

2015年05月08日12:00

497 view

ちょっとした近況から時を越える

 Mixiでも以前にふれたと思うが、2012年の夏に東京の飯田橋で、1969年の高校全共闘に関連した集いがもたれ、1968年闘争期における年少世代派だったが、今は還暦となった元高校全共闘が100名近く集まった。その呼びかけ人となったのが、大阪府率大手前高校の元解放派の川嶋康裕と兵庫の灘高校の元毛沢東派の前田年昭、そして大阪の上宮高校の元アナ高連の私であり、もう一人、元赤軍派の四人だった。前田も川嶋も私も、Facebookをしているが、厳密にいえば、私と川嶋は、1969年は浪人生であり、浪人全共闘ともいうべき全国浪共闘の活動をしており、前田は、高校全共闘に後続する1970年代前半の灘高闘争の参加者だった。前田によれば、灘高にはブントや中核派、解放派などのマルクス主義の諸党派はもとより、右翼民族派の日学同系の者や、1969年に結成され、私も結成当初から深く関係したアナ高連の支部もあり、闘争に参加していたらしい。アナ高連は、戦後最大の、そして最も組織され、暴力的でもあったアナキスト革命連合(ARF)の全国高校生組織として、私もその全国委員長になるなど深く関係して結成したものだった。アナ高連は、高校赤軍と連携して、かなりラディカルな高校生の学園闘争を展開したが、1970年に反安保闘争で東京に行った私には、その後のことはあまりよく分からなかったが、前田の話から、その後の消息の一端が分かったのだった。
 その前田から「真のラジカリズムの同志へ」として彼の最近の文書のプリントが届いた。彼の暴力論といえばいいだろうか。近年の左翼においてもっともらしく蔓延っている暴力忌避の正義論に対する批判であり、以前に雑誌『悍(Han)』の編集者として共闘した(『悍』3号は暴力論特集だった)前田の視点は痛烈だが、この痛烈さこそ必要だろう。昨今の左翼に蔓延るグラムシ主義的な暴力忌避のヘゲモニー論(ネグリのマルチチュード革命論やE・ラウラクやシャンタル・ムフの民主主義とヘゲモニー論からホロウェイの権力とらず論等々)に批判を加えている私も、ほぼ同意し得る内容だった。
 また同封されていた1971年制作の「国境を越えるドキュメンタリー」の『モトシンカカランヌー』上映に関する文書に、制作グループのメンバーの布川徹郎の紹介があった(「モトシンカカランヌー」とは沖縄方言であり、元金のいらない商売、仕事のことを意味し、具体的には売春婦、ヤクザ、泥棒などのこと)。私は1972年頃、松田政男編集の『映画批評』に文章を月産で連載していたが、同誌には布川も文を書いており、この映画のことも聞かされていた。
 さらにこれは余談に属するが、布川の細君と娘さんが、大阪の中之島近くで、小さなクラブを経営しており、今は渋谷に住む川嶋が来阪した時、彼に連れられて布川の細君のクラブに何度か顔をだしたことがあった。

13 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する