一昨日、松陰神社に行った後、豪徳寺を訪れました。ここは井伊家の菩提寺で、井伊大老もここに葬られています。
松陰神社からは直線距離で800mほど。道なりでも1kmほどです。あの二人がこんなに近くで眠っているというのも皮肉なことです。
井伊大老の墓の側面には「萬延元庚申年」、反対側に「閏三月二十八日」とあります。
桜田門外の変は三月三日です。その場で討たれた井伊大老の命日は三月三日のはずですので、日付が合いません。これは、桜田門外の変当時、井伊家の嗣子の届け出がなされていなかったため、死を秘して怪我の療養に当たっていたことにした結果です。
井伊大老の墓の後ろには「櫻田殉難八士之碑」が建っています。大老を守って斬り死にした8人の井伊家家臣の顕彰碑(慰霊碑)です。
豪徳寺には、中学高校の頃に1度だけ行ったことがありますが、その時にはこの碑の存在には全く気付きませんでした。年をとって、視野が広くなったのでしょう。
一方、井伊の供回りの中で、無傷で屋敷に帰ってきた7人の井伊家家臣は(切腹ではなく)斬首になったそうです。これまた痛ましいことです。
この殉難碑を建てたのは、井伊直弼の次男直憲で、明治19年、父直弼の二十七回忌に際してです。ところが、その日付が三月二十八日なのです。もう新暦ですので、閏はありませんけど、本当の命日ではなく、建前上の命日なのですね。もう誰に遠慮もいらないはずなのに。
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