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2015年05月01日22:15

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川内原発仮処分却下の心情、及び  電力自由化を考える(1)

「原発雑考」第322号の転載です。
2015・5・5
発行 田中良明
転載自由
連絡先 豊橋市富士見台2丁目12-8 E-Mail tanaka49@me.com


川内原発仮処分却下の心情

 九電川内原発1、2号機の再稼働差し止めの仮処分申立てを鹿児島地裁(前田郁勝裁判長)が却下した。基準地震動の算定、破局的な火山噴火の可能性、避難計画の実効性などが争点だったが、そのすべてについて規制委員会、九電、地元自治体などの対処を妥当なものと評価して、再稼働差し止めの必要はないとしたのである。
 ところで地裁の決定文の最後に以下のような奇妙な補足が付されている。
 「地震や火山活動等の自然現象も十分に解明されているものではなく、債務者(九電のこと)や原子力規制委員会が前提としている地震や火山活動に対する理解が実態とかい離している可能性が全くないとは言い切れないし、確率論的安全評価の手法にも不確定な要素が含まれていることは否定できないのであって、債権者(申立てを行った住民)らが主張するように更に厳しい基準で原子炉施設の安全性を審査すべきであるという考え方も成り立ち得ないものではない。したがって、今後、原子炉施設について更に厳しい安全性を求めるという社会的合意が形成されたと認められる場合においては、そうした安全性のレベルを基に周辺住民の人格的利益の侵害又はそのおそれの有無を判断すべきこととなるものと考えられる。」(脱原発弁護団全国連絡会の抗議声明からの孫引き)。
 今回の決定は一応の安全性を前提にしたものであり、今後更に厳しい安全性を求めることが社会的合意になれば、それに添って判断しなおすべきだ、というのである。再稼働を容認しておいて、なぜこんな補足をしたのか。
 想像するに、一つは、現状における社会的合意は一応の安全性を求めているだけだから、それを前提に判断したのだという独断的な弁解。いま一つは、「社会的合意」は「政権の意向」の婉曲表現であり、住民の安全よりも政権の意向を重視せざるをえなかったことについての忸怩たる想いの吐露。どちらであれ、脱原発が大義であることの告白に他ならない。


電力自由化を考える(1)

 日本の電気事業は、1951年以降長年にわたり9電力会社(1972年からは沖縄電力が加わって10社)による地域独占という業態が続いてきたが、2000年の産業用大口電力を皮切りに徐々に自由化が進められた。そして昨年6月に成立した改正電気事業法によって、2016年には家庭向け小売り電力を含め全面的に自由化されることになった。
 この全面自由化に向けて、地域を越えて電力を融通できるようにするための広域的運営機関の創設、送配電網を電力会社から切り離す発送電の分離、公正な電力取引を実現するための電力取引監視機関の設置などの作業が、電力システム改革の名のもとに行われている。
 政府や産業界が電力自由化を進める主な理由は、電気料金の抑制と投資機会の創出である。このことは、電力独占が政府や産業界にとっても時代遅れになってしまったことを物語っている。電力会社もこの大勢には逆らえないと判断し、総論的には電力自由化を受け入れつつも、その中で可能なかぎりこれまでの優越的な地位の温存を図り、自由化の実質的な骨抜きを狙っている。政府も、電力自由化を進めるかたわらそれとはまったく相容れない原発保護政策を導入しようとしており、将来の電力システムがどのような内容になるかは、まだよく見通せない。
 そこで以下では電力システム改革の細目を離れて、一般の市民にとって電力自由化はどのような意味を持つのかを考える。
 長年続いてきた電力地域独占の弊害が一般の市民の目にも明らかになったのが、東日本大震災と福島原発事故である。
 あのとき、西日本では電気は余っていたのに、それを十分に東日本に送ることができなかった。西日本(ほぼ富士川・糸魚川以西)は周波数が60Hzで東日本は50Hzだから、西から東に電気を送るには周波数を変換しなければならない。周波数変換所は三カ所あるが、合計の変換能力は福島原発事故以前では100万kW、現在でも120万kWにすぎない。これに東西の境界近くにあって50Hzと60Hz両方の発電機を備えた新豊根揚水発電所を経由させての実質的な周波数変換(西から東に電気を送りたい時は、西からの電気でポンプアップした水を使って60Hzで発電して、東に送る)によって得られるものを加えても、東西の電力需要量に比べれば微々たるものでしかない。
 周波数変換能力の不足は福島事故以前から指摘されていた。しかし電力業界は動かなかった。再生可能エネルギー利用発電を批判する際には、日本は外国と連系ができないので、出力変動への対応が難しいと主張するが、実は国内の電力会社間の連系すらまともに行って来なかったのである。電力会社は、地域独占にもとづく自給自足的割拠体勢を構築し、自力での電力供給にこだわって他社から電力融通を受けることを恥とする意識で凝り固まっていた。電力融通のために費用のかかる周波数変換施設を充実させることなど論外だったのである。まさに独占の弊害である。
 電力独占の弊害の第二は、どんなにひどい経営をしても需要家に逃げられる恐れがないので、高いモラルを維持するモチベーションが働かないことである。そのことを如実に示したのが、3.11直後の東電の行動である。
 周知のように3.11の直後に東電は「計画停電」という名の無計画な停電を強行した。突発的な事由で電力供給が危機に陥った場合に備えて、電力会社は大口の需要家と随時調整契約(需給逼迫時に電力会社の一存で企業への給電を制限できる契約。契約事業者はその代償に普段の電気料金が割り引かれる)を結んでいる。ところが東電は「計画停電」を強行する際にこの契約を適用して契約事業者への給電を制限する措置を取らなかった。その理由として「お客様に迷惑をかけたくなかった」という主旨の説明があった。随時調整契約を結んでいる需要家(すべて大企業)にたいしてはお客様だからという理由で契約の適用すら遠慮しておいて、一般の市民や中小零細企業にたいしては無計画な停電を強行したのである。なにをしても客が逃げる恐れがないから、こういう暴挙ができたのである。
 さらに東電が事故を起こした上に事故責任を全うしようとせず、電気料金は値上げする。このことに怒りを覚えた人は多かったし、いまでも多い。しかし東電管内に住む人びとには、他から電気を買うという選択肢は存在せず、嫌でも東電から電気を買うほかないのである。これも独占の弊害である。
 ところで、電力自由化によって新しく電気事業に参入する事業者について、供給責任を果たすことができるのかという懸念の声がある。しかし話は逆で、自由競争下では一度でも電力供給に失敗すると、その事業者はたちまち需要家から見放されて、事業は破綻することになる。したがってなにがあっても供給責任は果たすという強いモチベーションを持たざるをえないのである。
 日本では電力は絶対的不足の状態ではない。電力市場が整備されれば、コストさえ厭わなければ必要な電力はいつでも調達できる。つまりその気になりさえすれば、電気事業者が必要な電力の確保に失敗することはありえないのである。自由競争のほうが供給安定性は高まるということである。(続く)
 付記 この文章は他所に載せたものを増補したものです。 


雑 記 帳

 例年より少し遅かったが、4月になってツバメがやってきた。
 昨年は、一回目の産卵・巣立ちはうまくいったが、その後に巣の乗っ取りを狙うスズメとの争いが起き、わが家の巣での二回目の産卵はなかった。カラス対策ばかり気にしていて、スズメ対策に手抜かりがあったのである。
 今年は、スズメが最初から巣の乗っ取りを狙っていたし、ツバメのほうも昨年二回目の産卵に使った近所の家の巣を使うような素振りを見せていた。 そこでスズメを徹底的に追い払うことにし、インターネットで調べたら農業用防鳥テープが有効らしいので、それを使うことにした。30センチほどに切ったテープ14枚を30〜40センチほどの間隔で巣の前面に縄のれんのように吊り下げたのである。これがうまくいった。スズメはキラキラ光るテープが怖いようで、巣に入り込もうとしなくなった。
 ツバメは平気で、テープを固着した渡し棒と軒との間の20センチほどのスペースを通って自在に巣に出入りしている。15日過ぎからはつがいで飛来し、巣の補修も始めた。この巣で産卵するのはまちがいなさそうだ。
 誘致成功といった気分だが、今度はカラス対策をしなければいけない。

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