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2015年05月01日11:05

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放射能の発見された時代(調整中)・・放射能研究の歴史は放射線障害との闘いの歴史である。 キュリー夫人は「ラジウム火傷」に悩まされ続け、放射線被曝に起因する病気でなくなった。

放射化学・・古川路明 朝倉書店 http://www.amazon.co.jp/%E6%94%BE%E5%B0%84%E5%8C%96%E5%AD%A6-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8C%96%E5%AD%A6%E8%AC%9B%E5%BA%A7-%E5%8F%A4%E5%B7%9D-%E8%B7%AF%E6%98%8E/dp/4254145454/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1430459989&sr=1-1&keywords=%E6%94%BE%E5%B0%84%E5%8C%96%E5%AD%A6%E3%80%80%E5%8F%A4%E5%B7%9D

から。

P24休憩室・・・放射能の発見された時代 (書き出し)


ベクレルが放射能を発見した1986年には他の文化活動においても大きな動きがあった。美術界では印象派の時代は終わりに近づき、ムンク、クリムトの一風代わった絵も一部で話題になっていた。

ドビュッシーは「牧神の前奏曲」を完成していたが、この頃にサティのピアノ曲「ジムノぺディー」を管弦楽曲に編曲し、その指揮の労をとった、マーラーは「交響曲第二番」の初演を追え、更に長大な「交響曲第3番」を完成した。ヴェデキントは時代に先駆けた作品「ルルー二部作」第一作「地霊」を世に問うた。これらの作品は長期間にわたって影響を与えた。
時には最近再び注目を浴びている。

※ヴェデキントって知らん誰?と思ったら、演劇の人かあ。音楽のならびに書いてあったから作曲家かと思った。インテリやな古川先生。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%88

なかなか楽しそうな設定ですね。http://d.hatena.ne.jp/odd_hatch/20120204/1328310990


・・

日本は日誌戦争の勝利に有頂天になっていたのであろうか?確かに「世紀末」と呼ばれるこの時代は物質文明の盛りをはやす気風が一般的名時期であった。1889年にエッフェル塔が建てられ、ディーゼル機関は1895年に発明された。反映の中に潜む問題を感じて世に訴えたのは一部の芸術家と学者に過ぎなかった。

再び世紀末と呼ばれる時代に入ったが、多くの人がそれを口にする現在は1世紀の間に物質文明が角に進み、もはやそこからの脱却が間単位は出来ない現状を反映している。・・(注・・本の出版が1994年・・なのかな・はしがきの日付がそれになってた。)


放射能研究の歴史は放射線障害との闘いの歴史である。
キュリー夫人は「ラジウム火傷」に悩まされ続け、放射線被曝に起因する病気でなくなった。
娘入れーヌも、娘婿ジョリオも放射能の影響によって命を縮めた。

ハーンは89歳の天寿を全うしたが、指が時々化膿したという。

著名な人々だけでなく、キュリー夫人のもとでラジウム抽出に従事した人の仲には白血病に倒れた人もいたし、そこに留学して帰国後まもなく夭折した山田延男の例もあり、危険が充分に把握されなかった時代の犠牲は痛ましい限りである。


※ 山田延男 キュリー夫人に師事した日本人科学者 http://philosophy7136.blog.fc2.com/blog-entry-39.html 「マリー・キュリーに宛てた手紙で、山田は自分の病気が放射線障害によるものであろうということを書いています。山田は1927年11月1日になくなりました。享年31歳です。」

山田延男 ラジウム研究所に留学した最初の日本人であり、放射線化学研究の犠牲となって死去した最初の日本人とされる http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E5%BB%B6%E7%94%B7

・・

後に理解が進み、取り扱いに注意するようになるが、初期の研究者の健康に悪影響があったことについては疑問の余地がない。はるかに広い範囲の人々が放射線にさらされるようになった今日では、更に一生慎重な対応を必要とする。

科学界の競争の烈しい時代に入っていた。ベクレルの発見も彼がちょっと躊躇したならば、イギリス人トンプソン(S.P.Thompson)に先を越されたはずだという。キュリー夫人のトリウムの放射能の発見はシュミットに2ヶ月遅れていた。科学界における過当競争も昨日今日に始まったことではない。

しかしキュリー夫人は新元素の発見で新天地を拓いた。
彼女の探究心と努力は賞賛に値するが、ラザフォードは更に進み、原子核の発見、原子核変換の確認のような大きな業績をあげた。

門下からチャドウイックのような多くの俊英を輩出したが、ラザフォードの没後は原子核・素粒子の研究の中心は「新世界」に移る。

ローレンスとラザフォードは同じ名前(Ernest)をもつ。

双方を知る折ファンと(M.L.Oliphant)は'The two Ernests' の中で、二人の巨人の類似と相違を語る。


ボーアに対する2人の見解は食い違っていた。ラザフォードは、愛情を込めて、尊敬すべき偉大な理論物理学者と受け取ったが、ローレンスにはボーアの核兵器の将来を思う態度が原爆製造計画を妨害するようにみえた。

この違いは根が深く、大戦後の核物理学の運命を予知する現象かもしれない。

「近代文化史」(宮下啓三訳、みすず書房)の中で、ナチスのオーストリア合併の際に自ら命を絶った歴史学者フリーデルはこう書いている。

「(ラザフォードの「原子の分解」に触れた後に」)・・・工業技術のこの種の獲得物は、コレまでがそうであったのと同じく世に所有欲と不正の正しい形式を生み出すだろうと予想される。・・・・・『原始を活性化すること』によって、上の者たちはますます強欲になり、下の者たちはいっそう貧しくなり、どちらも腹をすかせて、戦争がさらに野獣化することだろう。社会問題の解決に必要なのは、〈動議的な〉エマナチオン、動議的な放射能発生、道義的な原子核分裂なのだ。(同書3巻P310)」原著出版が1931年を考えれば、優れた洞察力である。

放射能・原子核の研究は女流学者の活躍した自然科学の一分野である。キュリー夫人をはじめとしてイレーヌ・キュリー、マイトナー(L.Maitner)メイヤーのように優れた女性の名前をあげるのはたやすい。マイトナーについてはあとに譲り、メイヤーについて述べよう。彼女は殻モデルに代表される核物理学への貢献にとどまらずスクラー(L.A.SKlar)とのベンゼンの低励起状態に関する分子軌道法による先駆的研究、ビゲライゼン(J.Bigeleirsen)と共同して進めた同位体効果の理論解析でも知られ、幅の広い分野で活躍した理論家である。

1963年に女性として2人目のノーベル物理学賞を受賞したが、カリフォルニア大学で専任の教授職についたのは1960年であり、すでに五十の坂を越していた。

キュリー夫人については、娘の一人エーブ・キュリーが書いた「キュリー夫人伝」(川口篤 河盛好蔵・杉 捷夫・本田喜代治訳・白水社)http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E4%BC%9D-%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%B4-%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC/dp/4560029377

※リンクは私が足しました。

とそれに基づく映画が一つの印象を形作るようになっていた。

しかし近年出版されたリードによる「キュリー夫人の素顔」木村 絹子訳:共立出版

 と、ジルーの書いた「マリー・キュリー」http://www.amazon.co.jp/dp/4560083894/ref=pd_lpo_sbs_dp_ss_1?pf_rd_p=187205609&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4560029377&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=13C4RQH0MG0HV1E7N4YA 

は、エーヴァが触れなかったランジュヴァンとのスキャンダルをはじめマリーの努力と苦闘を生き生きと描き出した。女性科学者の先達として彼女が嘗めた辛酸は余人にはとうていうかがい知れないと思う。


(休憩室・ここまで)


調整中)
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