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2015年04月24日19:51

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日本人にとって、邦楽は『文学』!?

ずっとほぼ洋楽オンリーで来たようなものなので、
その感覚からすれば、日本人が邦楽に求める歌詞へのウエイトが
高過ぎると思って来たわけだけど・・。

そのおかげで、肝心な旋律がどこか後回し的様相となり、
結果的に海外で通じる日本発のメロディというのが皆無に近いのではと。

一方、今は昭和時代のような生粋の職業作詞家が減った分、
記事にあるように総体的に歌詞のクオリティが下がってるのは確かに思うものの、
ではその分旋律のウエイトが高まり、その求めに応えるほどの質が高まったのかといえば、
決してそうはなっていないという・・。

で、歌謡曲というジャンルがしっかり君臨し、その領域に食い込まんとしかけていた
フォーク/ニューミュージック、あるいは和製ロック等を振り返ってみると、
職業作詞家ではない「シンガーソングライター」が作り出したクオリティは、
本職のそれと比べても思ってたほど悪くないものが多かったかも・・と今になって感じる。

今の時代『唄(詩)』が残らないのは、“現代アーティスト達による能力の欠如”
といってしまえばそれまでだけど、本質はもっと別な所にあるようにも思えるわけで・・

あれこれ考えていくと、これにはやはり現代日本人における『日本語の軽視』が所以で、
元来内包されるある種の“重み”を理解出来ない、学んで来なかった所にあるのでは、と。

結果的にその反動の部分として、容易い情緒的単語や形容詞に安易に頼り、
見てくれはそれなりに整ってはいても、響いて来ない、染み込んで来ない気がする。

その最たるところが『桜』の乱用ではないかと。
日本人が普遍的に拠り所とするこの名詞、これさえ用いれば世代を超えて
日本人の感性に訴えることが出来る、といった動機が見え隠れする・・

言わば『桜』の安売り状態のような感じで、ここまで溢れ返ると有り難くも何ともなくなる。
この辺は『花』も似た部分がある。

こう考えると、如何に日本人は情緒や叙情感を好み重要視するか、
こと音楽に対してもそこが鍵で、尚更日本語による歌詞の趣きに加担する人種なのかが
うかがい知れてくるわけで、時代を超え残っていきそうな名曲が生まれない、
邦楽がヒットしていかない要因はその他にも幾つかあれど、
詞のクオリティ低下というのはあながち関係がないとは言えないのじゃないか、と。

昭和時代からの名曲と言われる楽曲を眺めてみても、案外旋律より歌詞の方が優れていて、
歌詞の品質が旋律の質を底上げしている、歌詞により構築された世界観によって
旋律が引っ張り上げられているものが少なくない・・そんな気がする。

その意味で日本人にとって大衆音楽は、
『文学』という観念で捉える傾向があるのかもしれない・・。


音楽における「歌詞」の重要性が低下? メロディとの親和性や語感を重要視
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=3387130
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