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2015年04月22日16:54

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かつてのビートルズのメンバーの一人であるポール・マッカートニーが来日しているらしいが

つぶやきに少し書いたことに続けて


●ビートルズが初めて来日したのは、私が中学3年か高校1年の時だったと思う。後に解放派の反帝高評に結成時から参加した友人は関心があったようだが、反アングロ・サクソン派の当時の私にはどうでもよかった。右翼の大日本愛国党が入国阻止を叫んでいたのを聞き、馬鹿だなぁと思いつつも面白く感じていたのを覚えている。

●戦後の日本に洋楽を持ち込んだのは1960年代前半の、エレキ・ブームを作ったベンチャーズと、60年代半ばのビートルズあたりか。ベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」とか「パイプライン」は、小中学生の頃、夏の海水浴場などでもよく耳にした。ベンチャーズも日本には固定ファンがおり、メンバーの変更はあっても、今でも来日公演はしているようだ。
●今からすればベンチャーズもビートルズも、そううるさく感じないが、当時は、日本の歌謡曲と比べると、音が大きく感じられ、それを好んだ若者も多かったように思う。当時は、洋楽は音楽というより「音」であり、音の洗礼だったともいえる。ベンチャーズのエレキは、その典型であり、ビートルズが歌う英語の歌詞も意味の分からない音だった。
●しかし、戦後生まれの季節はずれの国粋軍国少年だった私は、こうしたアングロ・サクソン系の洋楽には興味はなく、音楽といえば盟邦ドイツのクラッシックやイタリアのカンツォーネを聴いていた(笑 ←本当か)。
●ビートルズというかビートルズ的なものに日本の一部ではかなり反発が強かった記憶がある。それだけ、まだ若者の洋楽文化が入りかけた頃であり、そのようなものに熱中しているのは不良と見なされた。しかし、このビートルズの洗礼が、若者の文化をビートルズ以前と以後に分けたといえる。おさらくその一番手が、1968年闘争の世代になるだろう。
●いつの世でも既存秩序からの逸脱現象があるが、幕末の尊皇の脱藩浪士や博徒と、現代の所謂「過激派」と不良は同じようなものだろう。思想や政治が絡めば、尊皇の志士や「過激派」となり、そんな難しいことはよく分からないという場合は、博徒や不良になるというところか。
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