昨日の試写会の映画は、ひどい成績から、大学受験に成果をあげる女子高生の話でした。
受験塾の先生との出会いが、人生を変えたようです。
大学受験に、旺文社の全国模試を受けただけの私には、お金もちの子供でも、悩むのだというのが驚きでした。
町一番の貧乏人の子が慶應大学を卒業したという話だったら、涙がちょちょぎれるのですが、どうも、想像力が働かないのです。
私は大学は夜間の大学に進みました。
都立大学の人文学部です。
都立大学では一番偏差値が高く、京都大学の文学部と同じでした。
昼も夜も、同じ問題を同じ会場で、受験していますから、受験の成績はわかりやすいのです。
昼、夜、あわせて一番のようでした。
私の頃は、貧乏人の子でも、勉強が好きなら、大学受験に合格するのは難しくなかったと思います。
今は、小学校の頃から塾通いしないといい大学に入れないとか聞きます。
親の格差が、そのまま子の格差として、固定してしまうのでしょうか。
恵まれていた時代に育った私は、うちは貧乏だったのですが、高輪という町にそだてられて、最高級の教育を受けることが出来ました。
私だったら、町一番の貧乏人の子が、入学金をカンパで集めて、授業料は上位3%は慶應は免除のようですから、払わずに済ませ、卒業する映画を作りたいです。
多分、慶應一、ボロい服を着ていながらも、そのほとばしるパッションと輝くジーニアスによって、女子学生の一番の注目を集めるような存在であります。
ちょっと前に、スラムドックミリオネアという映画がありました。
私はあの映画には泣けました。
私はシングルマザーのおうちにハイレゾを届けたいと思っていたのですが、お母さんにハイレゾを届けるだけでは、不十分で、塾にも行けない子供が幸せな将来を夢見ることが出来るようにしないとならないのではと思い始めました。
インターネットで、塾でも、開くかと思います。
年収300万円以下のおうちしか受講出来ない仕組みを入れたりします。
だって、内容は分かりやすく、忘れにくいものを目指すのですから、恵まれた子がそれを見たら、格差はより広がってしまいます。
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