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2015年04月21日08:50

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4月21日(火) #886 まもなくあれから10年

おはようございます。木下藤吉郎です。


今から55年前の1960年(昭和35年)、ブラジルの首都がリオデジャネイロからブラジリアへ遷都されました。

※ ブラジリア - Wikipedia
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%82%A2

※ 在ブラジル日本国大使館
http://www.br.emb-japan.go.jp/nihongo/ippan/guiabrasilia.html


また、今から35年前の1980年(昭和55年)の今日は、声優の下野 紘(しもの ひろ)さんの生まれた日です。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%87%8E%E7%B4%98




















4月21日 火曜日

「炎の火曜日」というわけで、今週もさっそく世の中の問題を鋭く切り込む話を書いていこうと思いますが、今回はこれまでとは少し違う感じで書いてまいります。

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今週土曜日、4月25日は、関西にお住まいの方にとりましては、非常に衝撃的な出来事のあった日であります。

ちょうど10年前となります2005年(平成17年)の4月25日、この日、兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)の某所で、大規模な脱線事故が発生し、国鉄がJRに民営化してからの記録としては史上最悪の死者107人を出す大惨事となったのです。

当事者である運転士が死亡したため、事故の真相は闇に閉ざされてしまった形になっていますが、速度を記録するセンサーから制限速度を大幅に上回るスピードでカーブに差し掛かかった可能性が高く、曲がりきれず脱線、転覆を起こしマンションに突入してしまった、というのが有力視されています。

なぜ、そのような無茶な運転になってしまったのでしょうか。その裏には、少しでも遅れを出してしまうと、晒し者のような罰則「日勤教育」を受けねばならず、運転士がそれに著しく怯え、冷静な判断による運転ができなくなっていた可能性が高いとみられています。

もっとも、事故を起こした車両は前の停車駅でオーバーランを起こしており、膨大なロスが発生してしまっていましたが、当時のJR西日本ではオーバーランが起こらなくとも、3〜5分の遅れが慢性的に起こっていました。その原因には駆け込み乗車もありますが、それ以上に乗客が大量に乗り降りする駅(大阪駅、天王寺駅など)でさえ停車時間が過度に短く、発車時刻までに捌ききれない「無茶なダイヤ」があった事が大きな原因とされ、しばらくしてJR西日本はダイヤが大きく見直されました。

それ以来、JR西日本は幹部が交代した事もあってかなり雰囲気は変わりましたが、それでもあの事故を忘れる事など絶対にできないし、忘れてはならない事だと私は思います。

民営化、それは国からの命令ではなく、会社に出資した株主の意見で動く会社になるという事であります。実は福知山線脱線事故が起こるような環境になった原因の一つに、やはり株主から、乗客の意見よりも株主への配当を優先せよとの「お声」がかかった事があったそうで、その圧力に「古き良き」社風をぶっ壊されてしまったところがあったのは否めないでしょう。

完全に一からつくる民営会社は、助け合いの言葉が似合ういい響きがしますが、大手の会社を公営から民営化する事は、それだけ出資する人々は大金持ちであり、そういう方向に引きずり込ませかねない危険性もあるという事を、私たちは忘れてはなりません。知っておかなければならないのです。
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