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2015年04月19日12:44

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蓮田善明論を読む

 毎月開いている定期的な思想研究会と、その後のオフ会を兼ねた二次会を終え、夜中の午前3時頃、いつものようにToraryの小灘君に車で送ってもらって帰宅。
 昨日の定期的な研究会では、かつての中野正剛の東方会の機関誌で、花田清輝も編集に参加していた『東大陸』の元東方会公認による戦後的再刊の第3号に掲載された拙論「蓮田善明・三島由紀夫と現在の系譜」を読んだ。
 ただ、この文は30頁近くの長文でもあることから、一度で全文を読むことは無理で、昨日は、前半の3分の1ほどを読み、結局、3回に分けて完読することにした。
 個人的には、蓮田善明を集中的に読んだのは1970年代後半であり、当時の私は、ドイツのエルンスト・ユンガーと、日本の蓮田善明に取り組んでいた。そして蓮田の『有心』を読んだ夜は、時代的なトラウマのようなものに対するシェーンベルクの曲名を借りていえば「浄められた夜」のような体験に見舞われた時でもあった。
 初回の昨日は、戦後の日本は、終戦時にマレー半島のジョホールバールで陸軍中尉として自決した蓮田善明を、自決伝説(友人である詩人の伊東静雄や、蓮田が見出した三島由紀夫も絡んで)によって封印してきたのではないかという観点から、戦後から1970年以降の日本の言説の上げ底的状況に触れ、それに対して、現代において蓮田善明を読むことの意味について取り上げた。おそらく私のそれと幾つかある蓮田善明論との違いの一つとして、1968年闘争における新左翼の闘争の歴史的な本質と蓮田善明との間に、戦後に対する通底性を戦争の問題において取り上げたことにあるだろう。次回以降は、『神韻の文学』や『有心』『鴨長明』についての蓮田を読み、また、蓮田の、さらには三島由紀夫の古今和歌集論と、1970年代半ばに書かれた吉本隆明の和歌成立論である『初期歌謡論』を比較しながら、なぜ吉本が1970年代半ばに和歌成立論を書く必要があったのかということの思想的な意味を、蓮田、三島の側から逆照射していく。おそらく、そこにこそ蓮田が、相思相愛の万葉集の歌とは異なり、古今における先験的ともいえる失恋の歌に見た現代的な意味もあると思われるからだ。
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