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2015年04月16日23:05

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2008年だったかの

■なぜ教師のわいせつ犯罪が見過ごされるのか? 生徒との主従関係と、加害者をかばう学校の問題点
(ウートピ - 04月15日 12:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=184&from=diary&id=3372293
大分県教育委員会汚職事件に代表されるように、教員たちの関心は、仲間内での出生(人事権の掌握)レースで。
要は、支配欲権力欲が、彼等の世界観のメインになっている。

従って生徒を見る目も、支配欲を通じた色眼鏡でしか、みていないので、「良い子・良い生徒」というのは、教師のそうした眼鏡に適応した子どもが、大事にされる。


だから、文部科学省→教育委員会→校長→教員→小国民(PTA・生徒)という支配構造のなかで、「民主的教育」を標榜する教師でさえ、生徒に逆らわれることへの免疫は、驚異的に低い。

今、国家権力支配がストレートに国民に及ぶのは、学校で。
かつての軍隊と同じで、一番下っ端(生徒)が、そのパワハラ被害を、一番に蒙る構造なのです。

塾の教師が、ターゲットを保護者や生徒に絞っていることとは、根底の世界観がちがうので、こうしたセクハラが、塾よりももっと学校では起こりやすい。


で、学校が、セクハラをかばう理由は、セクハラを訴える子どもや保護者が、自分たちの支配の論理をおびやかすととらえての集団防衛だからです。

>校長から「先生にも奥さんや子どもがいる。辞めさせられたら、家族はどうする」と言われたというものがありますね。これも中立のつもりで加害者側に立っているケースだと思います。

これを「中立」ととらえる方が、おかしいでしょ。

>アンケートを取ると「子どもが嘘を書く」と言う人もいた

も同じ理屈です。

「権力にしたがっている自分たちは、間違っていない」という自分たちの歪みへの自己欺瞞こそが、こうした問題の元凶です。


*現実に、こうした集団妄想に固まった教育委員会を相手に、一つ一つ事実を私はつみあげて、この春、一人の女性職員が辞職しました。
辞職によって、問題をすり替える教育員会のやり方にも、ワタシは怒ってます。

闘いは積み残された問題を火種に、また始まります。

しかし、これはワタシが大人だから出来る闘いで、生徒や保護者では、難しいでしょう。


賽の河原の石積みとはいえ、闘うしかないですね。


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