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2015年04月14日11:21

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幸せのある場所

函館で車暴走「親子幸せそう」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3369397

僕は今、自分が幸せだと思っている。
ただその幸せは、他人にとっても同じように幸せと感じるか、と言われれば、決してそうではない。

朝早くから仕事に出て、帰るのはいつも遅くなる。
休みは、2週間に1度だけ。
まあ、家と職場の行き帰りだけのような毎日だ。

他人から見れば、何の楽しみもない、つまらない人生に見えるかも知れない。

それでも僕が幸せだと思えるのは、家に帰れば、僕の帰りを待っていていてくれる嫁がいて、息子たちがいてくれるから。
ささやかだけど、それが僕の幸せだ。

でも、人によっては、それが窮屈に感じる人もいるかも知れないし、不自由を感じる人もいるかも知れない。

要は人の幸せなんてのは、その人の気の持ちよう次第で、誰彼と比べるような類いのものではない。

目の前を歩いている人を見て、その人が幸せそうに見えたとして、それはその人が幸せなだけであって、その人の人生をそっくりそのまま与えられたとしても、それが自分にとって幸せに感じるかどうかわからない。
つまり、幸せそうな人を羨んでも、それは自分の幸せではない。
いつまで経っても、その人のその人が感じる幸せでしかない。

幸せに見える人だって、その人なりに悩みはあるし、その中でささやかながら自分の幸せを見つけ、幸せになろうとしているのだ。
そんな目の前の幸せを疎ましく感じるのは、単なる妬みであり、その妬みは自分の心の貧しさだ。

そういう心の貧しい人間は、他人の幸せを見て、自分にとっての幸せを見つけようとしない。
幸せになろうと考えない。
他人の幸せを奪うことで、その妬みを解消しようとする。
本当に人として、最低で可哀想な人間だ。
いつまで経っても幸せになれない、幸せが何かを知らない人間だ。

他人の幸せを奪おうとしても、それで自分が幸せになれるわけでもないのに。
結局、他人の幸せを奪うことで、自分と同じ場所へ、その人を陥しめたいだけなんだろう。
自分の幸せを考えない人は、他人の不幸を願うようになる。
何故なら、それしか自分を慰める方法を知らないからだ。
それが妬みで、人間の一番汚ない心。

僕はそういう心を持った人間が一番嫌いだ。


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