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2015年04月14日00:39

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脚本、ではなく脚本監修という逃げの立場。

『アルジャーノンに花束を』山下智久に「思ったよりよかった」の評価も、「窪田正孝が主演だったら……」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=53&from=diary&id=3369825
セリフのあちこちが、言葉のひとつひとつが、雑だと感じた。山Pが物足りないというよりも、あの役柄なら、裸になったときに筋肉質の体型はおかしいだろう。やせっぽちかぽっちゃりか、というリアルなキャラ設定が欠けているのは、山Pのせいではなく、脚本と、演出と、プロデューサーの責任なんだが。

にしてもどうしてもかつての野島伸司ドラマが、平成のいま、ミスフィットしている、その証明のような気がした。それはなぜか?野島伸司が時代とともに成長できなかったということかもしれない。

これはかれだけの問題ではなく、あの『ロンバケ』の北川悦吏子も、大石静も、井上由美子も、伴一彦も、つねに安定した良作を発表しつづけてきたわけではない。

それだけ、小説家以上にテレビッドラマの脚本家は時代の波を読めなくていけないのだ。

なぜいまアルジャーノンなのか?そのリメイクの意図が初回はわかりにくかった。これから明らかになるのだろうか?

最近のTBS、Nのために、のような良作があるかと思うと、流星ワゴンのようなホームランを思わせる飛距離の大ファウルが多い。このドラマも、大ファウルになりそうな気配がする。
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