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2015年04月10日21:39

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得にもならないものを受け入れるのは損な役回り

保育園への反対署名、ボール遊び禁止の公園…小さな子どもという存在にアレルギー反応を起こす日本の大人たち
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=77&from=diary&id=3364260

僕の父親は、定年になるまで、京都市職員をしていて、その中の環境局に勤めていたのだが、いつも頭を悩ませていたのが、ゴミ処理場の問題だった。
兎に角、ゴミ処理能力の点から、新たにゴミ処理場を建設しようとすると、建設予定地になる周辺住民から反対の声が挙がる。

もちろん、年々ゴミの量が増え、今のゴミ処理場の数では処理をするには足りないというのは、住民の方も解っているのだ。
それでも、何故、わざわざウチの近くに、ゴミ処理場を建設しなきゃならないんだ。
他の人だって利用するのだから、他所に建設してくれ、そうなるのだろう。

まあ、その気持ちも分からないではない。

それでも、ゴミ処理場はまだマシなほうなんだという。
というのも、ゴミを焼却処理する時に発生する廃熱を利用して、温水プールなどの施設を建設する事ができるからだ。
つまり、ゴミ処理場を建設する代わりに、隣に温水プールなどの施設も建設し、周辺住民の皆さんには、無料で温水プールをいつでも利用していただくことができますよ、という風にデメリットだけでなく、メリットも一緒に提示することができるからだ。

ここで言いたいのは、自分が住んでいる地域、その近くに何らかの施設が建設されようという時に、その施設が自分にとって何の得にもならような施設だったら、果たしてそれを、受け入れることができるか、ということだ。

保育園の新設に対する周辺住民の反対というのは、実はそのへんに深く結びついているのだと思う。
もちろん、保育園に入りたくても入れない子供が沢山いて、新たに保育園を新設する必要があることくらい、新聞やニュースを目にしていたら、誰もが知っていることだ。
知っているが、何もわざわざ、自分の住んでいる家の近くに保育園を新設することはないだろう。
しかも、自分たちには保育園に行くような子供がいるわけではない。
謂わば、あったとて、自分たちには何の得にもならない施設だ。
作るなら、他所に作ってくれ。

まあ、そういうことなんだろう。

しかも、保育園ができることで、家の周りで子供にウロチョロされたり、喧しく騒がれたりしたら、たまったもんじゃない。
小さな子供がいる親にしてみれば、微笑ましい日常の生活の音かもしれないが、自分たちにとっては、そんな声は騒音にしか聞こえない。

詰まり、そういった住民にとっては、何の得もないし、得にならないことを何故自分たちが引き受けなきゃならないのだ、ということなんだろう。
これは子供ヘイトという理由だけで解決できる問題ではないように思う。

今の世の中、自分に得にならないことはできるだけ避ける、そんなことは他所に押し付ける。
そしてそんな役回りを押し付けられたから、それは不当に権利を迫害された、という風に考える世の中なのだ。
そう。
例えば学校でいろんな掃除当番がある中で、自分だけがトイレ掃除を押し付けられたような。

だから、受け入れるにしても、何かそれに見合うような特典が欲しい。
でも保育園の新設に関しては、そんな特典なんか有り様もない事だ。

世の中のこうした考え方。
価値観が変わらなければ、ただ倫理観を押し付けるだけでは、子供ヘイトみたいなことはなくなることは無いだろう。
自分だけが生活しているのではなく、地域で子供を支え育てているのだ。
そして、その子供が将来の日本を支える宝なんだと思えるような価値観にならなければ、子供と関わることは自分にとって損な役回りを押し付けられたのだ、ということになってしまうだけだ。

だが、こうした問題は、子供だけの問題じゃない。
高齢者にとっても、火葬場の問題がある。
今のままで団塊の世代の人が高齢化してくると、ただでさえ飽和状態にある火葬場は、確実に足りなくなる。

その時、新たに火葬場を建設しようにも、そんなに簡単に火葬場なんて建設させてもらえないだろう。
もちろん火葬場が足りないのは解っている。

でも、何故わざわざウチの近くに火葬場なんて縁起の悪いものを建設されなきゃならない。
他の人だって利用するんだ。
建設するなら、他所に建設してくれ。

きっとこうなるだろう。
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