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2015年04月06日00:54

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やるからには徹底的に

12000年前の超古代の叡智を伝えるカタカムナ。

それを発見・解読したのは、楢崎皐月(ならさきこうげつ)という人物です。

その楢崎皐月の弟子だった宇野多美恵(うのたみえ)氏の最後の伝言とされる言葉をネットで見ました。



『生きるとは 「ミ」 を入れることである』これが私の結論です。



これを聞いて、思い当たることがあります。

今から20年以上前に、私は少林寺拳法を少しかじったことがありました。

少林寺拳法の本部で2年間修業していたのです。

その時に教わった先生が、宇野多美恵氏に師事しているという話をしてくれたことがありました。

その当時の話です。





当時、私は寮生活をしていたのですが、私の師であった少林寺の先生が寮の管理をしていた関係で、寮の風呂にいつも入りに来られていたんですが、ある時たまたま先生と風呂で一緒になったことがありました。

私は、先生が宇野多美恵氏からカタカムナを習っていたことは知っていましたし、何度か先生からカタカムナの入門書を借りて読んでいたことがありました。

当時の私は、どちらかというとカタカムナ文字をオカルト的に捉えていたところがあり、私は先生に、入門書に書いてあった不思議な話について、つい色々と聞いてしまいました。

しかし先生は、「興味本位ではいけない。それはカタカムナが本来伝えるところとは真逆のことだ。」というようなことをおっしゃいました。

要は、カタカムナ文字やその伝えるところは、生半可な考えでやるものではないという意味合いで、たしなめられたのです。

あとは、カタカムナを単にオカルト的に理解する姿勢では、その本来伝えるところの真意がやがて失われてしまうだろうといったこともおっしゃっていたように思います。




その時は、先生の意味するところがわからなかったのですが、20年以上経ってたまたま宇野多美恵氏の最後の言葉を見つけて、

ああぁ、あの時先生は、まさに宇野氏と同じことをおっしゃっていたんだなということにようやく気付きました。

物事をやり遂げるには覚悟がいるときがあるんだなと。

宇野氏も常々、カタカムナを学びたいと言ってきた者に対して、単なる興味本位かどうかを見定めていたといいます。





そういえば、先生はこんなこともおっしゃっていました。

たまたま先生が私の寮の部屋においでになった時のことです。

私の机の上にゲーテの詩集があるのを見て、それを手に取られて、「原書で読みなさい」と。

それは実は、宇野多美恵氏が「ファウスト」を原書(ドイツ語)で読んでいたために、物事に対する心構えとして、先生が私にやるからには徹底してやりなさいという意味でおっしゃったのだと、私は理解しています。

やるからには、徹底的に。

今後私がカタカムナに関わることになるかどうかはわかりませんが、とても印象的な言葉だなと感じているところです。 



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