早くこの日記を書きたかったのですが、家に帰って見ると臨月を迎えて里帰りしている次女の婿殿が我が家にやってきてました。
一人暮らしは寂しいのでしょ。
当然乍らお相手しなくてはなりません。
昼と夕方と夜で体内のアルコール消毒もできました
まだ酔いが醒めないのですが、記憶までアルコールで消されないうちに日記をアップしておきます。
4月4日は楽しみにしていた、mixi仲間とのオフ会。
まだ一度もあったことのない方もいらっしゃいます。
どんな方なのかな?
ワクワクしながら集合場所の地下鉄鞍馬口の改札前に集合時間の30分前の10時過ぎにつきました。
そしたら早くも横浜から来られたご夫婦が同じ電車に乗っていたのでしょう。
早くも到着されました。
優しい感じのご夫婦です。
それから去年の秋のオフ会でお目にかかって知っている方、まだマイミクにはなっていない方、既にマイミクになった方達が次々に到着され声をかけてくださいました。
集合予定時刻前には全員到着されました。
先ずは自己紹介。
今回の集まりでは出身地からいうと横浜から3名、焼津から1名、愛知から1名、岐阜から2名、京都から2名、尼崎から1名の総勢10名です。
京都では先の戦いといえば第二次世界大戦ではなく応仁の乱だと言いますが、わたし的には実感がありません。
花見には関係がないのですが、その応仁の乱の勃発地である上御霊神社に足を延ばしました。
それから、いよいよ本題の花見に。
今年は琳派誕生400年ということで尾形光琳・乾山の墓のある妙顕寺に。
駐車場の塀の上から光琳の墓の写真を撮ってから、妙顕寺に入りました。
まさに予想通りに満開です。
この寺が、京都における法華宗の草分け的寺院であることと、日像上人が開山で後醍醐天皇により勅願寺の綸旨を賜ったことなどを話しさせていただきました。
続いてその北にある妙覚寺。
妙顕寺の僧侶が教義の対立から日実上人が創建しましたが開山が前述の日像上人となっています。
次は水火天満宮。
資料には書いていたのですが、桜に見とれて登天石の話をするのを忘れてしまいました。
続いて、表千家、裏千家の建物を見て、本法寺に向かいます。
ここでは横笛の演奏者の写真撮影がなされていました。
琳派400年の立役者が策定した巴の庭があること、長谷川等伯が京都にやってきたときにはここに住まいしていたことなどの説明をしました。
堀川通を渡って次は妙蓮寺。
お会式桜を見逃してはなりません。
お会式とは宗祖日蓮の命日にあわせて行われる大法会のことですが、命日の10月13日頃から咲き出して、4月8日のお釈迦様の聖誕日ごろまで咲き続ける桜です。
皆さん信じられないというような感じでした。
でも事実なんです。 以下の写真はお会式桜ではありません。
ここから三上路地(ろーじ)などを見学して本隆寺へ。
天明の大火にも焼けなかったことから、「焼けずの寺」と呼ばれる話などしました。
そして隣の雨法院へ。
ここの見所は御衣黄桜なのですが、時期的にはあと1週間ぐらい先でしょう。
まだ1つも咲いていませんでした。
写真は歓喜桜です。
1時になります。
予約を取っていた人気店の美齢(メイリン)行きます。
1000円と思っていたランチですが、1100円になっていました
ここで飲める人は
550円。
他にはデザートタピオカとココナツミルクでした。
ここからちょいと歩いて大報恩寺(千本釈迦堂)へ。
残念ながら阿亀(おかめ)桜は時期が過ぎていました。
ここでは洛中最古の建物であること、慎ましやかな阿亀さんが夫の大工失敗を斗組(桝形)を使うことを提案して夫の高次を救ったのですが、このことが知れると夫に恥をかかせると自ら自害した話をしました。
上七軒を通って北野天満宮へ。
大黒組の灯籠の鼻の穴に小石を乗せたりキリシタン灯籠、国宝の社殿、お土居の話をして、最終目的地の平野神社へ。
ここはさすがに人気スポット、今日の訪問先の中では最高の人出でした。
いろいろな種類の桜があり、迷子?にもならずすべての桜を見てきました。
全員の記念撮影もできました。
なんと雨法院では咲いていなかった御衣黄桜も1輪だけが開きかけており、黄緑色の花を見ていただけることができたのは私にとっては幸せなことです。
アーモンド(扁桃)の花もまだ残っていたのがよかったです。
ここで花見は終了。
そして4時半、白梅町の串八でまたもや
で締めと致しました。
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