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2015年04月03日20:36

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理論の再構築が無ければ珍獣化している右翼も左翼も死滅しよう


Twitterに少し前に書いたことを、少し言い回しを改変して転載。

●三島由紀夫研究会代表幹事の玉川博己氏から小包が届き、開封すると山平重樹著『決死勤王生涯志士 三浦重周伝』が入っていた。三浦は私より一歳上で、日学同のリーダーを経て、重遠社を設立している。反核防闘争の件や友人の牛嶋や、三浦の配下だった民族の意志同盟の森垣氏も登場。味読しよう。
●山平氏の右翼評伝本は、以前に、生前に交流のあった楯の会一期生で年長の阿部勉のものを読んだが、同じように1970年前後に活動していた新左翼の場合は、運動の思想がメインとなるのに対して右翼の場合は、個人の物語であることだ。理論の左翼、情念の右翼の反映といえるかもしれない。
●私は、右翼も理論が必要だと思う。理論よりも情念や心情など魂が主眼である場合、何らかの活動は可能だが、革命的や維新的な組織運動は困難だからだ。また、右翼の場合は、少し前に、この近況でも磯部浅一にふれたが二・二六の事例もあるように尊皇的意識による蜂起の賊軍化のディレンマ問題があり、これらは心情や魂ではどうにもならないからだ。
●ひと口に右翼といっても私が直接に知るものだけでも、いくつかの種類がある。故三浦や玉川氏が所属した日学同や、畏友の牛嶋が所属した日本学生会議などのような三島由紀夫の影響の強い新民族主義の学生右翼や重遠社、草莽社などその後身、そこから分かれた森垣氏の民族の意志同盟、また反共派の老舗のような福田氏たちの防共挺身隊、今は鈴木氏が代表の議会進出を志向する新風、新右翼を呼号した一水会から山田氏の日本版ネオ・ナチのような右翼まで様々だ。これに右翼とまた違う保守系のものを加えれば、さらに多様化しよう。
●戦後日本の革命志向の学生運動はマルクス主義者の新左翼が主流で、反共派右翼から離脱して維新革命を志向した日学同や日本学生会議は明らかに傍流だったが、ある意味では彼らとは対極に位置するアナキストの学生運動と似ていたかもしれない。私が20代初期から彼らと親しくなったのもそれゆえだろう。
●アナキストもまた理論よりも革命への意志が強かったが、私は運動に飛び込んだ高校生の頃から理論が必要だと考え、アナキスト革命連合(ARF)のゲバルト部隊として大阪芸大夜襲のARFの突撃隊で活動する一方で理論構築を目指していた。理論が無いと、現実に対して悪く言えば場当たり的な対応しか出来ず、アナキストや右翼の場合、しばしばそうだった。
●今は、マルクス主義やアナキストの革命派も右翼の維新派も、珍獣のような存在であり、ある意味で、政治文化の保護対象であるかもしれない。またその意味で、左右の対立を越えた、珍獣としての通底性において共通の存続の課題を持つといえる。そのためには一にも二にも理論が必要だろう。
●この場合、従来までの理論はもはや使い物にはならないだろう。マルクス主義は社会主義圏の崩壊と共に、右翼維新派は昭和天皇の死と共に、それまでの立場は賞味期限が切れたといえる。つまりかつてのようなインターナショナリズムもナショナリズムも、もう通用しないということだ。

※画像は、大阪ミナミの難波の高島屋本店前に集まった新左翼のデモの隊列。1968年闘争期、キタの扇町公園での統一集会後、御堂筋デモで南下し、難波で解散するのが基本コースだった。ちなみに、現在、難波・千日前の、最近「裏難波」として知る人ぞ知る界隈にあり、映画にもなった味園ビルの2階で、定例の思想や芸術の研究会をしている。
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