我々自身のことを知ることは、今の私たち、そしてこれからの私たちの方向性を決めていく上で重要だと感じます。
これからお話しするのは、こういうとらえ方もあるのかなといった程度で物語として読んでくだされば幸いです。
私たちが当たり前にしている日々の感情体験。
それは、喜怒哀楽によって表現される様々なものがあります。
以前、私たちの住んでいる宇宙の特徴は、物事が進化成長していくことそれ自体が大前提にあるという話をしました。
おそらくそれに関係するとは思うのですが、私たちの地球にちょうど重なるようにして存在している別の地球があります。
<我々の地球のイメージ図>
<別の地球のイメージ図>
私たちの進化の方向性は、次元が上昇していくと進化成長していくという基本的な方向性を持っています。
(ただこれも、あとでお話するメビウスの輪のような退化と進化を繰り返す過程から成り立っている可能性があります)
しかし、その私たちの地球と重なるようにして存在している別の地球は、我々の地球よりも高いバイブレーションでありながら(5〜6次元の間にあります)、我々とはかなり異なる進化のプロセスを歩んでいます。
もちろん、そこにも人間はいます。
正確には、人類の亜種とでもいうべき存在です。
その人類の亜種のもつ基本的性質は、彼らが住む環境の様相と密接なかかわりを持っています。
彼らの住む環境(別の地球の様子)は、比較的温暖であり、寒暖の差があまりありません。
食べ物は非常に豊富にあり、人々の間で争いといったものがほとんどありません。
我々から見ればある意味、理想郷とでもいうべき環境にいるわけですが、我々とは異なるある特徴があります。
それは、彼らが感情の起伏が非常に少ないことです。
我々地球人から見れば、ある意味、冷淡に映ります。
そしてある意味、我々地球人から見れば、彼らも宇宙人ということになります。
なぜなら、地球は地球なのですが、全く別の環境で暮らしているからです。
おそらくは、この感情の起伏のなさ(感情体験の少なさ)が、彼らの進化に決定的な影響を与えている可能性があります。
ですが、これはおそらく、一つの選択なのだと思います。
我々の地球においても、かつて様々な選択がなされてきました。
多くの場合、それは進化の方向性か、退化の方向性かに二分することができます。
それが我々の住む宇宙の基本的方向性だからです。
我々から見て決定的な変化が生じたのは、今から約13000年前、紀元前11000年あたりです。
当時、我々地球上には、多くの大陸が今とは異なる形で存在していた可能性があります。
つまり、現代の科学者が唱えるプレートテクトニクス理論とは全く異なる事実をリーディングでは伝えてきます。
つまり、地球の表面は、ここ1万年程度のうちに激変しているという可能性です。
私に今見えているのは、おそらく我々が太平洋だと考えているところです。
いくつかの島が見えています。
当時、太平洋には、5つの巨大な島がありました。
今の日本のあたりにも地理的にかぶっているところがあって、それは、青森と淡路島までの範囲だと感じます。
青森と淡路島が含まれていることは確かなのですが、その間が厳密にいうと感じられてきません。
もしかしたら、この辺は我々の理解を超えているのかもしれません。
確かなのは、今私たちが青森と淡路島だと認識している地理的状況の組成の中に、当時の島の一部が記憶として刻まれているということです。
この5つの島は、我々との関係から見ると、いわゆるムー文明です。
ムー文明の痕跡は他にもあって、例えば今のペルーなんかがそうです。
ペルーのあたりに住んでいた人々は文明を築きました。
その祖先にあたる人々は、昔ムー文明に属していた人々ですが、祭祀のやり方で他の人々と不一致が生じ、独立して今のペルーのあたりに住み始めました。
つまり、今のペルーの地方に古代に住み始めた人々は、ムー文明時代の神官の末裔なのです。
<ペルー・マチュピチュ>
しかし、これをアトランティスに近づけてとらえることができます。
つまり、私たちの感覚では、ムー文明とアトランティスは別物という認識ですが、そうとはかぎらないのです。
もともとこの2つは一体的なものであり、それぞれの地方の人々に植えつけられた認識によって歴史が後付けされてきたところがあります。
つまり、人々の意識に眠る記憶が歴史を作り出してきたという側面があります。
具体的には、今の太平洋に住む人々には、ムー文明としての記憶がありますが、今のヨーロッパに住む人々の記憶では、ギリシャ地方を中心としたミケーネ文明、さらにそれをさかのぼるとアトランティス文明に到達します。
<ミケーネ文明の獅子門>
このように、文明にはほとんどへだたりがなかったのですが、我々の今住んでいる地域の人々の潜在意識に眠る記憶によって、一方はムー文明、もう一方はアトランティス文明というふうに後付けで認識されているだけなのです。
ですから、一般的にはペルーのあたりに成立した古代文明(インカ文明)などは、アトランティスに近づけて話されることがあるかもしれませんが(割と近い地域にあるマヤ文明がアトランティス人の末裔によって築かれたなど)、ムー文明に近づけてとらえることも可能なのです。
なぜなら、より広い見方をすれば、ムー文明もアトランティス文明も同じものを指している可能性があるからです。
ところが、地理的な問題だけでは説明できないことがあります。
それは、ムー文明、アトランティス文明のもつ方向性です。
本来、この2つは一体的に把握される必要があり、両者はメビウスの輪のように相互につながり合って、関連性を持っています。
我々の見方からすれば、意識が上昇方向にあるものをムー文明、下降方向にあるものをアトランティス文明ととらえることができます。
ですが、上昇(進化)、下降(退化)といっても、それは一つの角度から見た見方にすぎず、本来は流転であり、メビウスの輪∞の流れであり、現れては消え、再び現れては消える生命の流転を示したものにすぎません。
このような生命の流転とでもいうべき現象は、ムー文明とアトランティス文明のように文明間でも生じますが、もっと別の視点から見れば、地球レベルでも起きています。
それが、最初にご紹介した、我々の地球に重なるようにして存在している別の地球に住む人類の亜種と、我々の人類との関係性です。
一つの見方としては、前者をムー文明の方向性(進化の方向性)、後者すなわち我々人類をアトランティスの方向性(退化の方向性)に位置づけることが可能です。
ですが、これも絶対的な見方ではなく、別の視点から見れば別の様相が見えてきます。
なぜなら、すべては流転するメビウスの輪∞であり、どこか一点を取り出して、「ここは別のところよりも優れている」といったところで、あまり意味をなさないからです。
すべてはより大きな流れの一部をなしていて、それらが現れては消え、消えては現れていく中で、全体としての生命を継承しています。
それが、今ここに置かれている私たちの別側面から見た真実の一つだと感じます。
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