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2015年04月01日17:02

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他人の握ったオニギリの向こうにあるもの

■他人の作ったおにぎり食べられない…小学生の25%が「いや」、人間関係に水を差すことも
(産経新聞 - 04月01日 08:09)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=3349271

以前勤めていた職場の院長から聞いた話をする。

その院長がある日、晩御飯を食べようと奥さんを連れて、近くの回転寿しでない、握り寿し屋に入ったそうだ。

すると、店内がガラガラで、店主も居ない。
呼び掛けると、どうやら店主はトイレに入っていたそうで、院長の呼び掛けに応じて、トイレから出てきた。
そして、そのままカウンターに立ち、寿しを握り始めたそうだ。

流石に院長と奥さんは、気分が悪くなり、1、2貫食べて、そのお店を出たそうだ。

もちろん、寿し屋の店主は、トイレから出てきて、キチンと手を洗って寿しを握っているし、寿し屋と言えど、店主だって人間だ。
トイレに入って、オシッコもすれば、ウンコもする。
それは当たり前の話で、院長だって、そんなことは分かっている。

だが、実際にトイレから出てくる場面を見てしまうと、アタマで分かっていても、身体が受け付けないのだ、とその院長は仰っていた。

他人の握ったオニギリが食べられない、というのは、つまりそういうことなんだと思う。

そこに握った人のバックグラウンドが見えてきた時点で、身体が受け付けなくなるんだろう。
勿論、自分が握ろうが、親が握ろうが、友達の母ちゃんが握ろうが、全然知らない人が握ろうが、握ること自体は一緒だ。
手に細菌がついている云々なんてのも、握る側の人からすれば、最初の段階で手を洗っているなら条件は同じだ。

もし、そこの部分が信用出来ないとしたら、じゃあ目の前で、ちゃんと手を洗っているところを見れば、誰が握ったオニギリでも食べられるのか、という話になる。
だが、おそらくそういう人は、目の前で手を洗っていようがいまいが、他人の握ったオニギリ自体食べられないのだろうと思う。

一体何がそうさせるのか。

つまり、握った人の生活が見える時点で、ダメなのだ。
その人は普段、トイレに行くだろうし、鼻もかむだろう。
いや、人によっては、鼻を穿って、ハナクソを取る人もいるかも知れない。
また、人によっては、掌に汗をかきやすい人もいるのかも知れない。

そうした諸々の生活感が見えた時点で、いくら手を念入りに洗おうがダメなのだ。
それ自体が穢れとなって、その人のその手に沁みついていると、こうなってしまう。
気にしない人は、全然気にならないが、気にする人は、その生活感が気になってしまう。
そういう人はきっと、オニギリだけでなく、手料理と言われるだけで、拒否反応を示すんじゃないだろうか。

ここで、冒頭の話に戻る。

他人の握ったオニギリが食べられ人でも、握り寿し屋の寿しは食べられる、という人もいるかも知れない。

それは何故か。

つまりそれは、握り寿し屋のカウンターを介して立つ店主に、僕らは生活感を感じないようにしているからだろう。
しかしながら、院長のように、一度店主がトイレから出てくる場面を目撃してしまうと、その生活感を寿し屋の店主にも感じてしまう。

そうなると、忽ち、店主の手が生活感のある、穢れた他人の手になってしまうのだ。

ちなみに院長は、他人の握ったオニギリは食べないという人だった。

つまりそういうことだ。
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