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2015年03月30日04:48

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弘前城公園の桜

弘前城公園の桜は質量ともに素晴らしいものですが、それは「リンゴの剪定技術」を桜の木に取り入れたからです。
これは弘前市役所公園緑地課の課長だった工藤長政さんという人の功績が大きいのです。

戦後まもない頃、弘前城公園の多くの桜の木は老齢化し危機的状況にありました。
そんなある日、弱った桜の古木の枝をリンゴの木の剪定法を使ってばっさり切ってみたところ、翌年からより美しく花を咲かせ、見事によみがえったのです。
これを見た工藤さんは、部下達に、
「ドンドど剪定せ!わ、全部責任とるはで、なも心配すな!(ドンドン剪定しなさい。何かあったら全て私が責任を取るから、安心してやっても大丈夫!)」
と言って弘前公園の老齢化した桜の木全ての剪定作業を指示しました。
昔から「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言われているように、「桜は切り口から腐りやすいために剪定しない方がいい」というのが常識でした。
もし、弘前公園中の桜が台無しになったら工藤さんの責任は重大でしたが、工藤さんの意志は固く、その結果、桜は見事に復活したのでした。

次に、工藤さんが考えたのは、
「あれんど、なんどがさねばまね!(あいつらを何とかしなければならない!)」・・・です。
「あいつら」とは当時、桜祭り期間中に公園内に店を構えていた悪質な露店商。
彼らは観光客から法外なお金をぼったくったりしていたのです。
工藤さんはこの連中の排除にも尽力しました。
多くの嫌がらせを受けたり、夜道で襲われたこともあったそうで、怪我をして帰宅した時に家族が心配すると、
「なに!野良犬さ齧らいだだげだね。なでもねね。(な〜に!野良犬に噛まれただけだよ。たいしたことないよ)」
と笑って答えたそうです。
工藤さんは警察とも協力し、見事に、悪徳露天商排斥にも成功します。
工藤さんの業績を知った時、「弘前にも偉い人がいたんだなぁ・・・」と私は思ったのですが、この話には後日談がありました。

その数か月後、太平洋戦争関連の本を読んでいたら、偶然、「工藤長政(青森県弘前市出身)」という名前が目にとまりました。
なんと、工藤さんは太平洋戦争中は陸軍航空隊の戦闘機・隼の搭乗員で、ニューギニア戦線でアメリカ軍と死闘を繰り返していた人物だったのです。
なるほど、肚が座って度胸があるわけですね・・・。

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