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2015年03月25日16:04

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【変見自在】『共産主義が殺した1億人』(2004年11月25日号)

【変見自在】『共産主義が殺した1億人』(2004年11月25日号)
かまくら保守の会

ロマノフ王朝を不動のものにしたピョートル大帝は若いころオランダで丁稚奉公をして欧州の進んだ文化を肌で学んでいる。

ロシア一の開明の王と言われたが、それでも信頼していた重臣が謀叛(むほん)を企てたと知ると、ためらいもなく串刺しの刑を命じたとアンリ・トロワイヤの『大帝ピョートル』にある。


人間が考え出した最も残酷な刑罰といわれるこの処刑法は、直径5センチほどのまっすぐなポプラの若木に悪い銀のキャップをかぶせ、それを被処刑者の尻の穴に差し込む。

1センチずつ送り込む。やがて腸壁を破り、胃をおしのけ、心臓と肺を傷つけずに押し込み続け、もう陽が沈むころ肩の下に達する。

ナイフで切れ目を入れると、血と脂にまみれた銀のキャップが夕日を受けて鈍く光るのだという。

ポプラの木は被処刑者を貫いたまま地面に立てられ、彼には水だけが与えられる。しゃがむもならず。それでも7日は生き長らえるらしい。

串刺しにされた重臣をピョートル大帝が見舞い「風邪を引かないように」と自分のコートをかけてやる。長生きしてたくさん苦しめという意味だ。

そういう残忍な血を引くロマノフ王朝の末裔(まつえい)がニコライ二世だ。彼は皇太子時代、日本を訪問した折に襲われて刀傷を受ける。いわゆる大津事件だが、彼はこの騒ぎ以降、日本人を「マカク(猿)」と呼び強い嫌悪感を示した。

その感情はやがて日露戦争という形を作っていく。今から100年前の明治37年に戦端が開かれた戦いで、日本は世界最強のロシア軍と1年余を戦い抜いて勝利する。

しかし「戦役に際し同胞中不幸敵手に落ち幽囚の難に遭うものはほとんど2000人に達せせり」、つまり2000人弱が捕虜になっている。

その少し前の日清戦争では有名な山県有朋の訓示がある。
「敵は古より極めて残忍の性を有す。生擒(せいきん)に遭わば酷虐(こくぎゃく)にして死に勝る苦痛を受け、遂には野蛮惨毒の所為を以って殺害せらるるは必然なり。寧ろ潔く一死を遂げ名誉を全うすべし」、つまり生け捕りにされたら残忍極まりない方法で殺されるから自刃しろと勧告している。

そして今度は残忍な血筋を引き、なお日本には含むところのあるニコライ二世のロシア軍が相手だ。

2000人の捕虜はいかなる酷虐な目に遭ったのか案じられたものだ。ところが先日彼らの送られたメドベージ村の収容所の写真が発見された。産経新聞に載った写真を見ると彼らは爪も剥がされず串刺しにもされず、クリケットに興じ、太陽を一杯に受けるベッドでくつろぐ姿で写っていた。

ロシアの捕虜が入れられた松山俘虜(ふりょ)収容所の温かい待遇はよく知られる。

それにも勝る扱いぶりともいえる。腐っても鯛、ロマノフ王朝は国際ルールも儀礼もしっかり弁(わきま)え、将兵もそれなりに立派だった。

40年後、日本人が再び会ったロシア兵はメドベージ村で見たロシア人ではなかった。彼らは今の支那人と同じに日本人を襲い、殺し、奪いまくった。女性はすべて強姦し、さらに市民まで捕虜にしてシベリアに送って重労働を強い6万人を殺した。

ロシア人をここまで変質させたのは何だったか。藤岡信勝・拓大教授がその答になりそうなコラムを産経新聞に書いている。

それによると第一次大戦では900万人の、第二次大戦では2700万人の戦死者を出した。戦争は酷いものだが、それ以上に酷いのが共産主義だった。

共産主義はたかだか80年の歴史だが、支那で6500万人が共産主義の名のもとに殺され、ソ連で2000万人が、北朝鮮とカンボジアで200万人ずつが殺された。東欧、アフリカなどを加えれば1億人が殺されている。

なぜなら共産主義自体が残虐さを特性にし、例えばレーニンは「富農100人以上を人々に見えるように絞首刑にし」そうやって「殺し続けよ」と指令している。

残虐さが党員の資格であり、出世のカギだった。かくてスターリンやら毛沢東やらポルポトやら抜きん出た残虐さの持ち主がリーダーになっていった。

日本人が再開したロシア人はそういう世界に育ったゆえにひたすら残虐、無慈悲な顔を持っていた。

そういえば日本共産党の元党首宮本某はリンチ殺人をやっている。せいぜいヤミ献金ぐらいの自民党元党首とは凄みが違う?

(ジョージ・ブッシュが日本を救った/高山正之より)

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