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2015年03月24日23:59

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倫理観の範疇の外側について

■子猫生き埋め、校長が謝罪=「安易な判断、生徒にショック」―千葉
(時事通信社 - 03月24日 20:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3336281

まだ20代の頃。

付き合っていた彼女がペットショップで働いていた。
ペットショップといっても店長とバイトの店員が2人くらいの小さなペットショップだ。

彼女がそこで働き始めたくらいの頃、ショップの中で商品である、ハムスターが一匹、檻の中で死んでいたらしい。
彼女は、それを檻の中から出して、店員の元へ持って行き、ハムスターが死んでいたことを報告すると、店長は、そのハムスターを掴んで、ポイっとゴミ箱に棄ててしまったらしい。

彼女は、エッと思い、ハムスター、ゴミ箱に棄てるんですか?と店長に訊いたら、店長は、何で?と不思議そうな顔をして、

”商品にならなくなったんやから、廃棄するのは当たり前やろ。そんなん、いちいち埋葬なんかしてられへんやん。”

と彼女に言ったらしい。

彼女は、店長のその言動にもショックを受け、どうしても納得ができなくて、閉店後、ゴミ箱の中の死んだハムスターをコッソリ持って帰って、家の近くの空き地に埋めてあげたという。

埋める時、ゴメンね、ゴメンね、と思わず言わずにはいられなかったらしい。

それから暫くして、彼女はそのペットショップを辞めた。
どうしてもあの時の店長の行為や言動が自分の中の生命に対する価値観とかけ離れ過ぎていたからだ。

彼女は、どう表現すれば良いかわからないが、とりあえずとても厭な気持ちになったと言った。
店長に対して嫌悪感を感じたというのだ。

僕は、なんとなく彼女の気持ちがわかるような気がした。
きっと、自分の中にある倫理観の範疇から外れていた人を見た気がしたのだろう。
そういった場合、人は、嫌悪感に近いショックを受けて、その人を軽蔑視してしまう。
何処か、違う世界に住む、関わり合いになりたくない人を見たような気がしてしまうのだ。

その嫌悪感は、やはり、ハムスターという生き物をそこらにあるゴミのように、生き物を壊れたモノのように扱ったことに根ざしている。
それに対して何とも思わない、そこに嫌悪感を感じるのだ。

実は、この男性教諭にも、同じような嫌悪感を僕は感じる。
この人が教諭であるとか、そういうこと以前に、自分にとって不要だと思うものは、例え、それが小動物であっても、ゴミのように扱える。
そして、それに対して何にも感じない、というところに嫌悪感を感じるのだ。

こういう人というのは、根本的な何かが欠落しているのだろう。
だから、誰かに問題視され、その問題を指摘されるまで、自分が問題行動をしたことにすら気付かない。

深く考えずにしたというのは、そういうことだ。
それが、この人の一番の問題だったりする。
これは、人間性の問題なのだ。
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