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2015年03月22日13:33

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天才が理解される瞬間



口パクを疑われた女性が自分の実力を証明した瞬間。
評価すべきは、この天才ではなく周囲の批評家たち。
疑問を持つ知性、自分の判断の間違いを認められるメンタル、天才を評価できる公正な思考。これが一流の人間だと思うのだ。

日本では、自分と違う考えや感性に疑問を持つ知性の高い人までは多い。
しかし、判断間違いを認めるメンタル的な強さはゼロに等しく、言い訳やすり替えでお茶を濁したり、問題先送りで間違いを認めないことが多い。隣国の中国のようにメンツってのを気にしすぎて声や暴力の大きいだけの無能に仕切られることも多い(絶対的な天才が君臨した独裁であれば、そのメンツを尊重することで最大利益を得る可能性は低くないので必ずしも悪ではない)。
そして懐疑的であった部分の否定が対偶となり天才を証明できるのだ。

つまり、日本人に限らずだが、既知以外のものを評価できる知的ロジックを想像できず処理速度だけが高い人間ってのが、自分の持ってるモノサシで天才を封じ込めようとする。またはレッテルを貼って排他的になってしまうのだ。
そういった人間が今のテレビ業界のコメンテーターには多すぎるし、それが正しい大人のあり方だと勘違いしている残念な人が多すぎる。
そう言った人間は、正しい理屈や真理ってのを求めているわけではなく、正しいと定義された何かを覚えて広げたいだけの、マンガやゲームで例えればモブキャラでザコキャラなのだ。

誰かが何かを言って、それにイイねと思う賛成の判断は間違いである可能性がある。
それを自分の中で否定しきれないことが真実を含むものであって、真実だと思い込むことは本当の意味での真実を排除している可能性があるのだ。

この動画のように、理解し難いものに疑問を持つのは当然。ここで疑問に文句いうのはニセモノ。ただしさを証明できるのが天才。証明結果を認められるのが一流。一流であることは天才ではなくとも天才と同じ価値観を理解できるということなのだ。

別軸から天才を定義する。

その分野の天才に近づこうと知識を溜め込んだりのめり込むのはオタク的であって、評価されるべきことなのだが、多くの場合はそこで競争と優劣を求めてしまう。それが差別や排他につながる愚行となり、結局は似た能力似た価値観の集団を形成してしまう。その評価は内省的であり、声の大きい人の能力を超えた評価ができない、真理や真実を排除している可能性の高い残念すぎるグループになるのだ。
なので天才的なオタクは評価できるが、天才ではないオタクは極論でいえば頭数のままのザコキャラなのだ。
内向きに評価されているオタクは、その技術や知識において評価されているなら天才になる可能性は否定できない。しかし、ムードメーカーや調整役としての評価が高い場合は一流である可能性を含む。そして一流かそれ以外かは、既知のもの以外を評価し理解できる能力によるのだ。ほとんどの場合は、内輪受けに特化した形で一流を演じようとするのだが、それはこじらせたコミュ力あるオタクなだけで一流とは見え方は似ていても真逆のカルトだ。たまたまその信仰がその内輪で不幸に機能していないだけなのだ。

そして超一流は、一流の価値観を頭数の存在に伝えられる存在だと思うのね。
そして内輪受けカルトにオブジェクションを与える存在なのだ。

目指すのは天才であり超一流であること。
まぁ、そのゴールの途中でとどまり登りきれないことがほとんどではあろうが、その頂を目指すもの同士であれば、一流の関係をつなげるのではないかなぁと、他分野であっても。

なので誰かの足を引っ張るとか、程度の低い思考に合わせろという同調圧力とかが是認される愚かな環境は否定されるべきなのかなぁと。人が変われないなら環境を変えるか人を排除するしかないよなぁと。つらつら仮説を立てつつ、めんどくさい仕事をやりに休日出勤の準備をする。

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