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2015年03月21日09:15

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男は女をみて、自己のなかにある女性を発見する。それが起こるとき人は全体となる

http://ameblo.jp/miyairikuro/entry-12004153194.html?frm_src=favoritemail



osho

これは私の観察だが、すべての女は愛するものだし、

女が愛しても、その愛はごく当り前のものだ。

それは女のマインドの一部だ。

普通、男はそんなに愛さない。

愛は普通、彼らがする行為のうちのひとつにすぎず、最も重要なものではないだろう。

ビジネスの方がもっと重要な時もある。

そういう時、彼らにとって愛はビジネスの間のレクレーションや、リラクゼーションだ。

もしどちらかを選ばなければならないとしたら、きっとビジネスの方を選ぶだろう。

愛よりも政治の方が大切な人々もいる。


金、社会的地位、道徳・・男には愛よりも大切なものがたくさんある。

だが、女はひたすら愛する。

たくさんある中のひとつではない。

男が愛するのは、一日のうちでもせいぜい数分だ。

女が愛するとき、その愛は二十四時間だ。

それは自然だ。


しかし、ときに男が愛する時、どんな女も彼にはかなわない。

なぜならその時には、彼の内なる女性が爆発するからだ。

男が本当の意味で愛に走る時、彼はもはや男ではない。

そうなると、彼の内なる無意識が爆発し、

彼自身を完全に乗っ取ってしまう。

瞑想者がすべきこととは何だろう?


瞑想者はその両方に気づくことだ。

そして、そのどちらについても、自己同化をやめなくてはならない。

真の探究者は自己同化を捨てなくてはならない。

自分が男でも女でもなく、観察者であることを学ぶことだ。

そうして、あなたは生体を超えていくことができる。

そうしてはじめて、肉体を超えていくことができる。

なぜなら、男と女は肉体に存在しているからだ。

せいぜい、その影がマインドに存在しているにすぎない。

しかし、魂は男でも女でもない。


その両方を超えていきなさい。

それゆえ、見守り、距離を置き、離れていること。目を覚ますことだ。

女がそこにいて、機能しているのを見守る。男がそこにいて、機能しているのを見守る。

だが、自分はそのどちらでもないことを忘れないように。

真の覚醒が常にセックスの超越につながるのは、そういう理由からだ。

そうすれば、禁欲は自然と起こる。

セックスをするには、男か女のどちらかに自己同化する必要がある。

真の禁欲者とは、そのどちらでもなく、超越をした者のことだ。

抑圧の話をしているのではない。私はあなたがたに抑圧しろ、と言っているのではない。


自分の中にある女や男を抑圧しろ、と言っているのでもない。

私はあらゆる抑圧に反対だ。

私が言っているのは、自分の中にある女性を表現しなさい、

自分の中にある男性を表現しなさい、だが、ずっと目を見張っていなさい、ということだ。

抑圧したものは、遅かれ早かれ姿を現すだろう。


意識だけが、二元性を超えたところへあなたを連れて行くことができる。

あなたの中にある女性が、あなたの中にある男性と出会っていないとしたら、

あなたは外側に女性を、または外側に男性を必要とするだろう。

それは代用品にすぎない。

ゆえに、決して完全に満足することはなく、常に何かが欠けている状態に置かれることになる。

世界一の美女を見つけようが、世界一ハンサムな男を見つけようが、

どうも何かがしっくり来ない。

どうも何かが欠けているように感じられる。

それは男が悪いわけではなく、女が悪いわけでもない。

何かが欠けているという感じは、どこかほかのところから来ているのだ。

そして、それがいったいどこからなのかが分からなかっただけの話だ。


あなたが女性に恋をするとき、

それは実際にはあなたの中に内なる女性がいて、

外側にいる女性は、その内なる女性を反映している、ということだ。

恋に落ちるとは、そういうことだ。

どうしてあの娘が好きになったのか、と聞かれると、あなたは彼女の鼻がどうだの、

髪がどうだの、歩き方がどうだのと、もっともらしい理由を探し出す。

だが、どれもみな馬鹿げている。

鼻の形や、髪の色や、歩き方が、愛と何の関係があるだろう。

いいや、関係があるはずがない。

そうではなく、彼女はあなたの内なる女性に、内なる月に適合したのだ。

彼女はあなたの内なる月を反射させたのだ。


彼女が百パーセントであることは、あり得ない。

なぜなら、あなたの内なる女性は、あくまでも内なる女性であって、

外側で見つけることは不可能だからだ。

外側で見つけられるものは影でしかない。

女や男に恋をするとき、あなたは鏡に恋をしているのだ。

遅かれ早かれ、あなたは欲求不満に陥る。

しかし、外側の女性が完全にあなたを満たせないのは良いことだ。

でなければ、内なる探求に向かうことは決してないだろうから。


外側の男があなたを完全に満たせないのは祝福だ。

それは、ただ単に一瞬の満足、味わいを与えてくれるだけで、

あなたはますます渇望を覚えるようになる。

これはよいことだ。

ひょっとすると、それこそが目的なのかもしれない。

そうして、ある日あなたは自己に立ち返り、内側を見るようになる。


たとえたくさんの人と関係していても、女性の心理に深く立ち入ることはできないだろう。

あなたの内側の女性的な部分を知りなさい・・

必要なのはそれだけだ。

そうすれば、関係することは鏡の役割を果たす。

女はあなたを見て、自己の中にある男性的な部分を発見するようになり、

男は女を見て、自己の中にある女性を発見するようになる。

自分の中にある女性、つまり対極的な部分への気づきが増せば増すほど、

あなたはより全体的に、統一的になれる。

内なる男性と内なる女性が完全に混ざり合い、溶け合い、

もはや分離することなく一つの完全統一体となるとき、あなたは個となる。

内側にある解放された女性と、自分の中の内なる男性との出会いにまかせない。


深い統一感と、有機的な本質を知るために。

そうすれば、意識に関しては、あなたはもはや男と女に分断されてはいない。

そのとき、あなたは一つであり、人間であり、また全体でもある。

もはや葛藤はなく、あるのは協調だけだ。

存在しうる最高の統合体に達している。


それが起こるとき、人は全体になる。

その人が男であろうが、女であろうが、それは関係ない。


あらゆるエネルギーには極性がある。

生における唯一の問題は、いかに二極間のバランスを取るか、ということだ。


バランスは幸福へと導いてくれる。


あなたのエネルギーが50対50であるとき・・それらが出会い、溶け合い、


交響楽となり調和を奏でるとき・・たいへんな至福が可能だ。



全存在があなたの中に流れ込んでくる






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