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2015年03月21日08:28

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《南京大虐殺は無かった。日本は中共とは戦争していない。》

《南京大虐殺は無かった。日本は中共とは戦争していない。》

南京事件は、支那事変(左翼は日中戦争と呼ぶ)は、1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間から2ヶ月にわたって中華民国軍の便衣兵、敗残兵、捕虜、一般市民などを殺したとされる事件。この事件については、事件の規模、存否を含め様々な論争が存在している。


東京裁判でいきなり「南京大虐殺」の罪を問われて一番驚いたのは日本人であろう。米国が「史上初の人間に対する原爆投下」の虐殺規模を相殺する為に中華民国と口裏を合わせて「日本軍の〈20万人〉虐殺説」を捏造した冤罪である。当時は建国もしていなかった中華人民共和国の国際的プロパガンダが功を奏して一般には「南京大虐殺」と呼ばれる。

1937年8月9日から始まった第二次上海事変の戦闘に敗れた中華民国軍は撤退を始め、逃げながら「堅壁清野作戦」と称して、民家に押し入り、目ぼしいものを略奪した上で火を放ち、当時、中華民国の首都であった南京を中心として防衛線(複郭陣地)を構築し、抗戦する構えを見せた。

蒋介石は12月7日に南京を脱出し、後を任された唐生智も12月12日に逃亡した。その際、兵を逃げられないようにトーチカの床に鎖で足を縛りつけ、長江への逃げ道になる南京城の邑江門には仲間を撃つ事を躊躇しない「督戦隊」を置いていった。「督戦隊」とは敗走する自軍の兵を殺す為の専門部隊である。

中華民国軍の複郭陣地を次々と突破した日本軍は、12月9日には南京城を包囲し、翌日正午を期限とする投降勧告を行なった。中華民国軍がこの投降勧告に応じなかった為、日本軍は12月10日より総攻撃を開始。12月13日、南京は陥落した。

所謂「南京大虐殺」とは、その占領から約6週間の間に数10万人単位の市民や捕虜が日本軍によって虐殺されたとする説である。中共が公式に述べてきたものとしては被殺害者数は次第に増えて現在は30万人。中共にある南京大虐殺記念館の外壁には、大きな文字で「300,000」の数が、犠牲者数として掲げられており、今も中共の子供たちは、反日感情を植え付けられる為に毎年そこへ行かされている。

「南京大虐殺」は、戦後、共産党員や共産主義シンパなどを中心に広められ、そののち多くの人々を巻き込み、教科書にまで載り、日本人の「自虐史観」の根底に根を張った。併し、今日ではこのような日本軍による30万人もの大虐殺、大規模な殺戮、また小規模な殺戮さえも、実際には無かった事が多くの証拠によって明らかになっている。

南京戦の最中、南京市内にいた20万人の民間人は全員、南京市内に設けられた「安全区」に集まっていた。日本軍はそこを攻撃しなかったので、安全区の民間人らは誰一人死ななかった。然も、大虐殺があったとされた後には南京市の人口は25万人に増加している。

南京陥落が間近に迫ると、支那兵の多くは軍服を脱ぎ捨て、南京市民を殺して服を奪い、民間人に化けて南京の安全区に逃げ込んだ。その中には、武器を隠し持ち市街戦を準備する者、また安全区内で強姦や、略奪、殺人などを行ない、それを日本兵の仕業に見せかけたり、被害者を脅迫して「日本兵が犯人」と言わせる反日工作をする者たちも居た。

現在では、中共政府や朝日などのマスメディアが主張する「30万人虐殺」説については、もはや信じる者は国内では少数派と思われるが、東京裁判史観の洗脳から逃れられない自虐的日本人の中には「日本は侵略戦争を行ったのだから、事実関係や人数に関わらず中共の言い分を無批判に肯認せよ」とする論調すらある。現在の朝日新聞などのマスメディアの論調はこの考えを基本としている。

本多勝一(本名 崔泰英)は「南京大虐殺」肯定派の象徴的人物にして「ザ・レイプ・オブ・チャイナ」を執筆して謎の自殺を遂げたアイリス・チャンも引用した、元朝日新聞の花形記者である。彼の記者活動のスタイルは、中共でも、北朝鮮でも、〈一切裏取りしない〉事である。他国の権力のプロパガンダに徹底して同調し、〈日本を貶める事に生涯をかけた卑劣漢〉と言っていい。

朝日新聞が「中国の旅」を連載し始めた1971年は、財政破綻で苦境に立つ米国がキッシンジャ−を支那に極秘訪問させた年でもある。反日論者のキッシンジャーは周恩来との密談で『対日封じ込め』戦略で一致した。利に聡い伊藤忠商事の瀬島龍三は、国交正常化を前に売国的な「周4原則」を受け入れ早くも中共室を設置している。

更に我が国ではこの年に「日の丸・君が代」教育に反対する槙枝元文が日教組委員長に就任し、その後、我が国に対して内外ともに反日包囲網が形成されて行った。本田(崔)が暗躍したあの時代から、米国と中共は日本封じ込め・日本貶めを工作し、米国は日米貿易問題で恫喝、中共は賠償金に代わる援助資金を日本から如何にせしめるかを、キッシンジャーと共謀したのであろう。

時同じくして、中共の日本への執拗な歴史戦が始まった。中共と共謀したキッシンジャーの「暗躍同意」が在ったと推察される。それに乗ったのが情けない事に日本の朝日新聞とNHKである。その後、本多(崔)の南京捏造プロパガンダから、植村隆の捏造慰安婦強制連行報道へと朝日の売国報道は続いていく。

戦時中から戦後にかけて、中華民国の蒋介石政権は300回もの記者会見に応じているが「日本軍が南京で市民を虐殺した」とか 「捕虜の不法殺害を行なった」との非難は一切していない。もし「南京大虐殺」が真実なら、中華民国が唯の一度も記者会見でその話を持ち出さない事など有り得ない。

南京事件の核心に迫ると思しき衝撃的な史料が亜細亜大学教授の東中野修道氏によって見つけ出された。そのひとつが、蒋介石の「指示」文書である。蒋介石は、日本軍が南京に入城する直前、城内から逃れたが、その時に「ここで日本軍による大虐殺があった事にしよう」との指示があったという内容だ。

これらの事柄は東中野氏が、台北の国民党党史舘で発見した極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要1938年〜1941年』に残されていると氏の著書『南京事件-国民党秘密文書から読み解く』(草思社)に記されている。

この文書発見以前から南京陥落後、120名近くの記者が日本軍と共に南京に入城したが、朝日を始めとする当時の新聞報道、記者らの証言の中で、虐殺事件の片鱗すら語られていない。事件は無かったのではないか、という疑問は当然出されていた。この主張が、支那側の資料から裏付けられたという点は大きい。

併し、敗戦後70年目にあたる今年、建国もしていなかったのに中共の習近平は、9月3日にロシアのプーチンを招いて「対日戦勝記念」を祝うという。戦ってもいないのに戦勝記念式典を開催するのは「悪意の歴史修正」ではないのか! 真の戦勝国である米国政府も、敗戦国である日本政府も、中共による「対日戦勝記念式典」に抗議の声を上げない。

日本に悪意を持つ米国が見て見ぬ振りをするのは分かるが、日本政府はなぜ声を上げないのか。大東亜戦争での日本の敗戦は1945年である。中華人民共和国の建国はその4年後の1949年である。日本政府はなぜ黙っているのか。このままでは戦いもしなかった中共の戦勝記念日が公式行事となってしまう。日本が異論を唱えない限り、他国は黙って見ているだけだ。

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