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2015年03月21日07:40

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あるときは幸福になって、またあるときは徹底的に悲しみなさい…




質問

バランスの取れた生活のコツについて話してください。
私は極端な体験をすることが多く、
少しの間も中道に留まることがないのです。


osho

生は極端の集まりで構成されている。
生とは両極端の緊張だ。
真ん中に永遠に留まるということは、死を意味する。
中道とは理論的な可能性に過ぎない。
時には真ん中にあることもあるが、それは単に通過点としてだ。
中道にあることは静的な状態ではない。
それは動的な現象だ。
だから左から右、右から左へと動き続ければいい。
それこそが真ん中に留まる唯一の方法だ。

極端を避けないこと、
そしてひとつの極端を選び取るのもやめることだ。

両方の極に開いていなさい・・

それがコツ、バランスを取る秘訣だ。
ある時はすっかり幸福になって、またある時は徹底的に悲しみなさい・・
どちらにも、それなりの美がある。
無選択でいなさい。
そして何が起ころうと、どこにいようと、右か左か、
真ん中にいようがいまいが、その瞬間の全なるままを味わいなさい。

幸せな間は踊り、歌い、楽器を奏で、幸福でありなさい!
そして悲しみがやってくる時は・・悲しみは必ずやってくる。
避けることはできない。
もし避けようとするなら、幸福になる可能性そのものを破壊するしかない。
昼は夜なくしては存在できないし、冬なくして夏はない。
そして死なくして生はない。
この両極性をあなたの存在に深く浸透させなさい・・
それは避けようがないのだから。
唯一の方法はどんどん死に近づいていくことだ。
死人のみが恒久的な中心に留まれる。
活き活きとした人は絶えず動いている・・・怒りから慈悲へ、慈悲から怒りへ。

そういう人はその両方を受け入れるし、どちらにも同一化しない。
超然としていて、しかも深く関係している。
彼は水中の蓮の花のように在る・・
水の中にいてもなお、水がそれに触れることはない。
真ん中に留まろう、ずっとそこにいよう・・
そうした努力それ自体が、あなたにとって不必要な心労を造り出している。
永遠に中道に留まろうとする欲望こそ、最低の種類の極端だ。
なぜならそれは不可能だからだ。
古時計のことを考えてみなさい。
もし振り子をちょうど真ん中で押さえたら、時計は止まってしまうだろう。
時計が進むのは、振り子が左から右へ、
右から左へと動き続けるからに他ならない。
振り子が真ん中を通るたび、ほんの一瞬だが、中庸の瞬間がある。
美しいじゃないか!あなたが幸せから悲しみへ移るとき、
ピッタリ真ん中に、全き静寂の瞬間がある。
それも味わいなさい。
そのすべての局面において生を生きることだ。
そうしてはじめて、生は豊かになる。
そもそも、どうして真ん中に居たいなんて思うのだろう?
私たちは生の暗黒面に怯えている。
私たちは悲しみたくないし、苦悩したくない。
しかしそれは不可能な話だ・・
そうしたら歓喜の可能性もなくなってしまう。
何世紀にも渡って、それが僧侶のやり方だった。
ただ苦悩を避けるために、すべての薔薇を滅ぼす用意がある。
しかしそれでは、その生は平坦だ。冗長で退屈だ。
生気がなく澱んでいる。本当には生きていない。
生きることを恐れている。
生は両方だ。それはひどい苦痛と大きな喜びをもたらす。
それは同じコインの二つの面だ。
一方を手放すなら、もう一方も手放さなければならない。
たとえば、苦痛を手放して喜びをたくわえることができる、
負を避けて正だけを得ることができるなど、途方もない誤解だ。
そんなことは物事の本性からして不可能だ。
正と負は避けようもなく一緒、分かつことのできない一体だ。
同じエネルギーの二つの様相なのだ。
私を理解する人たちはその二つを両方受け入れなければならない。
私はあなた方に、全く新しい洞察を与えている。
すべてであれ!
だからあなたが左側にいるとき、何ひとつ逸してはならない・・
味わうがいい。
左にいることにはそれ自体の美しさがある。
右側にいるときには、それは見つからない。
場面も違っている。
そしてもちろん、真ん中に在ることにはそれ自体の静寂、
平和があり、どんな極端の中にもそれは見つからない。
だから、とにかくすべてを楽しみなさい。
あなたの生をどんどん豊かにし、何ものにも執着しないことだ。

可能な限り、すべてのやり方で生を生きなさい。
対立する一方を選ばないこと。
そして真ん中にいようと努力しないこと。

私はあなたに中道を教えない。
私は全道を教える。

そうしたらバランスはひとりでにやってくる。
そのときそのバランスには、途方もない美と優雅さがある・・
あなたは無理にバランスを取ろうとはしなかったが、
バランスはやってきた。



優雅に左へ、右へ、真ん中へと動いていくことで、

ゆっくりと、バランスは、あなたのもとへやってくる。

同一化しないままでいるからだ。

悲しみがやってくると、あなたはそれが過ぎ去ると知っている。

そして幸せがやってくると、あなたはそれもまた過ぎ去ると知っている。


留まるものはない。すべては過ぎゆく。




たったひとつ、いつでも残るのはあなたの目撃だ。




この「見ている事」がバランスをもたらす。




その目撃こそがバランスだ。






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