実はガラスのポテンシャルは無限である。
最初からコナゴナなのだ。
で、あまりにコナゴナで方向性が無いために、一見、正常に見えている。
だが、ガラスに石が当たるとベクトルが発生する。でベクトルはベクトルを呼ぶのだ。
で、どうすればポテンシャルが計算出来るか??
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千里(せんり)の馬(うま)は常(つね)に有(あ)れども伯楽(はくらく)は常(つね)には有(あ)らず
出典
韓愈(かんゆ)・雑説(ざつせつ)・四首・其四
意味
いかに才能のある者も、それを認めてくれる人がいなければ、力を発揮できない。「千里の馬」は、一日に千里も走ることのできる名馬。「伯楽(はくらく)」は、もともと星の名で、天上で馬の世話をするのが役目であったというが、転じて馬の素養を見分ける人をいうようになった。この句は漢(かん)の『韓詩外伝(かんしがいでん)』に「驥(き)(=名馬)をして伯楽を得ざらしむれば、安(いずく)んぞ千里の足を得ん」という同じ意味の句があり、『戦国策(せんごくさく)』秦(しん)策にも、孫陽(そんよう)という馬の鑑定人が、名馬に塩運びをさせてしまったという話があり、かなり古くから伝えられていた物語と思われるが、有名になったのは、韓愈(かんゆ)の「雑説(ざつせつ)」からである。「雑説」は、「随想」という意味。
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椿さんは千里の馬である。
60営業日で100万円を320京円にする。
60営業日で100万円を0円にする。
う-ん、過激な性格だ。
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訳文
世間に馬の良し悪(あ)しをよく見抜く人がいてこそ、千里も走る名馬というものがありうるのである。名馬はいつでもいるけれど、それを見抜く人はいつもいるとは限らない。だから、たとえ名馬がいたとしても、見抜く人がいなければ、ただ下働きの者にこき使われ、飼い葉桶(おけ)の間に首を並べて死んでしまって、千里も走る名馬とはいわれないままで終わってしまう。(名馬に十分食べさせなければ、並の馬と同じになってしまうし、並の馬と同じように鞭(むち)打ったり、食事させたりして、名馬を理解しないで、世の中には良い馬はいないなどと言っている。)ああ、世の中にはほんとうに名馬がいないのか、それとも世の人が名馬を見分けられないのか。
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元々、調教は得意なのだ
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