この両者はともすれば思想、哲学、宗教等において、否定的な扱いを受ける事が、どちらかというと多い類いの物である。
しかし、両者ともに人間の、社会の、国家の、世界の行動原理に大きく関与する巨大なエネルギーの一つであると言う事は否めない事実である。
けれど、この二つ、その存在性の大きさの割に、以外に科学的な研究があまりされていないんじゃないか?と素人ながらに思ったりする。
20世紀に入るまで「光とは何か?」と、言う問いに科学的にハッキリと回答するのはチョット難しかったのでは無いか?と、思う、しかし、今はそういう事はかなり具体的かつ詳細に説明されている。
欲と言うのは、明らかに脳内で発生する状態である、脳科学がどんどん発達していけばやがて、人間の脳内で欲望がどのようにして発生し、発達、もしくは衰退して行くかと言う事が詳細に分かるときが来るだろうと思う。
お金という文明発祥と同時に生まれたこの概念も又、人間社会の中で(この場合はある一定以上の規模の集団)生まれた物であろう、コレも又科学的なアプローチが可能であり、必要ですらある。
21世紀の現在、精神疾患に対しては場合にもよるが心理学以外に、脳科学もその治療に携わるようになっている、そしてわずかの期間の内にかなりの実績を上げてきている。コレはとても喜ばしい事だと思う。
欲にしろ、お金にしろ、その在りようが定義され、公式化される事が個人的には非常に望ましいと思われる。
様々な欲が文字式として表現できるようになればコレを理想的にコントロールする事が極めて容易になる、例えば「欲の置き換え」の様な事が簡単に個人に対しても社会に対しても出来るようになる。
お金はその、ある意味で「実体」と言って良い物の特性が解明される事でより高度な経済社会の構築に大きく貢献するだろうと思う。
もっと言ってしまえば、両者の理想的な運用は戦争の無い世界をすら可能にするかも知れない位の潜在能力を秘めているのでは無いかと思う。
様々な観測機器やコンピューターが発達すればするほど、こういった科学はより肯定的かつ現実的に人間社会に影響を及ぼす事が出来るようになると思う。
そういったシステムの運用は膨大なデータをもの凄いスピードで同時並行的に処理しなければならない類いの物で、例えば多くの問題を抱えた(最早民意を反映などしていない事が見え見え
の)議会制度などではとても実行可能で在るとは思えない。
いずれ人類は巨大な社会運営管理システムにその施政をゆだねざるを得ないときが来るように思う、しかし、それは人間性の否定とか、没落とか、退化とか、そう言うネガティブな物では決してないように思う。
むしろ、ソレこそが本当の肯定であり、発展であり、進化であると思う。
先行投資と言う事を考えるなら、個人にしろ社会にしろ国家にしろ、科学のそういった分野に惜しまず実施するべきだと思う。
もしかしたら来たるべきポリネシアは科学によって招聘され、その時期は意外に近いのかも知れない。
ログインしてコメントを確認・投稿する