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2015年03月07日13:11

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津留晃一 あなたは 無条件の愛そのもの



http://s.ameblo.jp/miyairikuro/entry-11998421673.html?frm_src=favoritemail


この言葉ほど私の魂をふるわせる言葉はありません。
神は光であると伝えられました。
しかし私にとってそれは単なる説明でしかありませんでした。
そこに感動がなかったからです。
しかし神とは「無条件の愛」であると伝えられたときには、
これこそ我が目指すゴールであると感じました。
人はこのいただきを目指します。
そして恋を体験します。
恋人は人を感情のピークへと誘います。
魂の昂揚感を感じ愛の素晴らしさを体感します。
ところが感情のピークは
引波のごとく必ず冷めていくという過程をたどります。
愛に終わりがあるとは一体どういうことでしょうか?
愛は永遠であるはずなのに、

冷めて行くかに見える愛とは一体なんなのでしょうか。
ときめきを感じなくなった恋人を見て、

飽きてしまったのだろうか、
これが倦怠期なのだろうかと思います。

このことを悟ることが、

今回の私の生の大きなテーマの一つであったように感じます。
「無条件の愛」を感得するための、

必ず通らねばならない関門でしょう。
恋人の出現によって感じる愛とは、

条件付きの愛だということです。

その愛は恋人がいなくなったら消えるわけですから・・・。
他人に出逢い、
愛することにより自分の内面にあった深い愛に初めてふれ、
自分の大いなる愛に気付きます。
人を愛するたびに感じる自分の奥深くに眠る
大いなる豊かな愛情を、
やがては誰がいなくても感じる事が出来るようになってきます。
プレゼントをくれたから好きになるとか、
偉い人だから興味があるとか、
何かが出来たら評価が上がるとか、

条件付きの愛とはまさに三次元の愛です。
この二極の世界では必ずその反対もあります。
何かを貰って好きになった人は
貰えなくなったとき嫌いになります。
上がったり下がったり、

揺れ動く二極世界では必ずやがて反対の極を迎え、

好きになったり嫌いになったりあなたの感情も揺れ動きます。
誰がいなくとも、あなたはもともと愛そのものです。

「無条件の愛」とは、もともとあなたそのものであり、
そのことに恋人は必要ありません。
愛そのもののあなたが、愛を感じるのに他人は必要ないのです。

そのことを思い出させるために、
そのことに気付くために他人が存在しているだけです。
他人とは内なる巨大な愛を取り戻すきっかけでしかありません。

このことを思い出すのが人生ゲームです。
このことを思い出し、
あなたが「無条件の愛」そのものとして生きたとき、
あなたにはもはや肉体は必要ないかもしれません・・・。

いや、私にはとてもそんな生き方は出来ない
と嘆く必要もありません。
もともとそうであるあなたは、今は単にゲームの途中であり、
難解なゲームにチャレンジ中なのですから、
高度肉体ゲームを
そんなに焦って終わらせる必要もないでしょう。

せっかく入った地球というゲームセンターです。
何も急いで出る必要はないでしょう。
子供のように、遊び疲れるまで遊べばいいのです。

他人がいて愛に気付きます。
元々内側にあった愛に、他人を反映して気付きます。
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