「勇敢(かりぶ)」「雄(らいおん)」「響(りずむ)」…、なぜ「キラキラネーム」は生み出されるのか?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=140&from=diary&id=3303829
考察は面白い。
だが既出指摘のように戦国時代→武家社会の名付けには
「渇望しているから」その字を付けると言う訳ではない訳で。
ではそこに何があって、過去や現代の名付けと何が共通しているのかと言うと
それは「言霊思想」であると言えよう。
過去に於いてはよりシャーマニックな
武家社会に於いては「成功者への肖り」と「家系の継続」の
現代に於いては親が子に向けた願望と言う名の「エゴイズム」の
それぞれ表れであるのだ。
エゴイズムはここで言われている「珍奇ネーム」に限定する事無く
全ての名付けがエゴイズムであると言える。
ではその両者、「珍奇ネーム」と「一般的名付け」を区別するものは何か?
それは「親の期待感の肥大」ではなかろうかと、寿限無の噺の喩えに伺えるのだ。
我が子に向けた愛情が過大過ぎて肥大化し「我が子を世界に合わせる」のではなく
「世界を我が子に追従させようと」した結果、世間ずれしてしまうのではないだろうか?
そういう意味で言えば、普通の名前を付けられた子供は
親からの愛情の割合で測るなら「ほどほどの愛情」であるとも言えよう。
それでも尚、前時代的な「産まれた順に数字を付ける」ような名付けと比較すれば
人格に配慮されている点は間違いないのだが。
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