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2015年03月05日14:21

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僕が美人を嫌いなわけ

外見が綺麗であることはプラスであるとは限らない。

何か問題があっても見た目がよければ許されてしまう「エコヒイキ」の存在を否定できない。
これが美人を嫌いになる理由の原因だ。

美人であればあるほど、失敗や間違った判断や行動が曖昧に許されてしまう。つまり反省し正しく成長する機会を失ってしまうのだ。
そして「カワイイは正義」と言わんばかりに、見た目と周囲への媚びに特化して、必要な成長が為されていないことが多いのだ。カワイイ私のドジを許すのは当然、カワイイ私にできないことは周囲が率先してやるべきなどと、暴君のような振る舞いが常態化するのだ。

これはエコヒイキする周囲の環境が大きな原因なのだが、異性に対しては恋愛欲や性欲といったものが働くこともあり、周囲の改善は期待しにくい。自分で気付いて正しく成長するか、周囲がそれを気づかせなきゃならない。

男女問わず、外見や出自(親が権力者とか金持ち)で周囲から甘やかされてきた人間は、それが通じない環境に出た瞬間に「無能」になるのだが、それに気付かない。そもそも周囲が自分を甘やかしていたという認識が無いので、外見やら出自が通用しない相手に対して「理解不能」な敵対心を感じる。そして「ハートで考えろ!」や「人の気持ちわからないのね」と精神論や感情論で騒ぎ立てるのだ。

そして、甘やかされてきた人の能力不足で問題解決ができていないだけの客観的事実に、わけわからない言いがかりが積み重なるのだ。

過去に「ブサイク性格悪い」という日記を書いたが、それとあわせて考えると、両方とも頭がよければ解決できる課題であり、そこまで頭良くないなら美人でもブサイクでもないほうが中身はいいはずとなる。でも人間の潜在能力ってのは大きく差があるとは思えないので、ロジスティック回帰的な両端に位置する美人とブサイクは中身が良くない可能性が高いのだ。

その理解があった上で、中身を良くしようと努力している美人は応援と尊敬ができる。ほとんどいないけれどね。
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