mixiユーザー(id:7146920)

2015年02月28日11:51

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2・26と尊皇的賊軍の論理

 一昨日は、所謂「2・26事件」の日だったので、それについて思うことをTwitterに書いたので、それを2日遅れだがここに転載する。これに関連したこと、天皇や皇室制度(天皇制)、神武建国、尊皇、賊軍、北一輝、三島由紀夫、右翼、極右、左翼、極左、その他、等々については、Mixi
の他の日やTwitterでもいろいろ記しているので、好奇心と暇があれば、それらもご参照いただければと思う。

●2・26については、右翼は蜂起将校の心情的な支持という浪花節の繰り返ししか出来ず、保守はそのリアリズムの無さを批判し、左翼リベラルは日本ファシズムの露払いというピント外れの批判と、どれも下らない。このような変わらぬ光景を見ると既存の右翼も左翼も依然として駄目だと思わざるをえない。
●右翼は、蜂起した将校の心情を支持するだけでなく、それを否定した昭和天皇の意志を突破する(しかも尊皇的に)思想が必要であり、左翼は、それを否定したならば日本での革命は不可能だという革命の意味を把握する思想が必要だろう。既存の国家の改造や刷新ではなく国家創造(建国)が革命なのだから。
●日本において国家創造の革命を遂行したのは誰なのか。そして、その国家創造としての革命はどのようにしてなされたのか。その革命はどうなったのか。問題の基本は、常にここにある。
●日本の右翼は、極左を否定する限り、維新派にはなれず、常に権力の手先にしかなりえない。日本の右翼が維新という原理的な革命性を回復せんとするならば、極左を肯定し、止揚する以外にない。記紀を読み、考えても見よ。神武建国(国家創造)は、外部から大和への進攻であり、大和在地のニギハヤヒ王国を打倒してなされており、それは神武革命といってもよく、現代風にいえば極左的な革命だろう。
●磯部浅一は、現天皇(当時は昭和天皇)への怒り節を展開した。しかし怒り節であるかぎり恨みつらみの展開でしかない。磯部の現天皇への恨み節を、天皇に対するものとしてでなく、天皇自身の声とする必要がある。磯部が天皇に対して言うのではなく、天皇が磯部の口を借りている化身の構造が必要なのだ。
●磯部が相手とする天皇と、磯部に化身する天皇は、当然ながら別の天皇になる。磯部の相手が現天皇ならば、磯部に化身するのは始原の天皇(神武帝)でなければなるまい。そして始原の天皇(神武帝)が化身したならば、現天皇への恨み節は不要となる。なぜなら、現天皇の動向は、尊皇的に無視すればいいからだ(現象的には、現天皇に対する神武的賊軍という形になる)。
●2・26については、北一輝の天皇大権による戒厳令論も、三島由紀夫の英霊の声も、当時の現天皇(昭和天皇)の存在のリアリズムの前には無力であり、他力本願と無い物ねだり以上でも以下でもない。
●その昭和天皇のリアリズムを突破する現代の天孫降臨の神話が必要なのだ。
●この場合の神話とは、神々についての天道説的な話ではなく、現天皇のリアリズムを突破する現実を確固たるものにするためのイデオロギー的凝集点として機能する尊皇的だが賊軍的な神話といってもいいだろう。
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