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2015年02月15日23:11

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戦前と乖離し続けた現在を繋ぐための物語「永遠の0」

永遠の0という作品を私が初めてみたのは、2012年の1月頃、漫画版の漫画版の新刊で出ていた4巻を表紙のゼロ戦の絵にひかれて買って読んだのが最初です。
4巻からという、とても変則的な買い方をして、気に行ったら既刊も買うつもりでした。
その「永遠の0(ゼロ)」の4巻目の中で、武田という元特攻隊の老人が特攻隊をアメリカの9.11テロ犯人と同じだとする高山という新聞記者に反論する場面が有ります。
大学の史学科で専攻した戦前の論文を書く為に、戦前の新聞記事の内容を多少見ていた私としては、当時と今の新聞に繋がる元特攻隊の老人の新聞への批判に非常に共感し、心打たれました。
(その後すぐ既刊を買い、小説の原作が有ることにも気づきますが、この時は漫画版の最終巻がまだ出ておらず、漫画版のラストを見る前に、小説を読むか迷いましたが、結局その後小説版を読みました)

読んでいる途中、漫画版も、小説版も涙が止まらなくなった事が多々有りました。

去年には、永遠の0は映画にも成りました。映画の出来は良く、感動しましたが、初めて漫画版を読んで共感した武田老人と高山記者の場面は造り変えられていました。

平成27年2月11日と2月14日、明日の2月15日と永遠の0がテレビドラマで放映されています。
しかし今の所、見ても原作とは違和感がぬぐえませんでした。

原作では、元旧日本軍の老人になった登場人物たちは、宮部の考え方は当時としては普通じゃないと言った趣旨で協調しています。その登場人物の幾人かは、戦後になって家族と暮らしているうちに宮部の言ったことが理解できるようになったと老人となった元日本兵達は言うのです(今回のテレビドラマでは、旧日本軍の上官たちを非難する言葉等が目立ち(原作にはなかった様に思うのですが)、老人たち本人の当時の日本兵達の考え方が入ってないように感じました)。

原作者の百田さんも現在と戦前を繋ぐ物語を書いたとする趣旨の事を述べておられたと思います。

日本が総力を結集して戦わなければならなかった、あの時代の人々の覚悟と心に現代側の主人公である宮部の孫達は最初、共感していませんでした。
 しかし現代人にも共感しやすい価値観を持つ祖父宮部久蔵の姿を知っていき、あの時代といったものを次第に理解していったという流れを百田さんは書きたかったのではないかと思います。

だから永遠の0はあの時代の事をよく知る人々にとっては、あの時の価値観からは受け入れがたい宮部久蔵の行動、友軍が戦っている中、空戦域を俯瞰している位置にいるところなどを受け入れにくい面が有るようです(下記の動画を見るとよくわかります)。


永遠にゼロ★越谷太郎の「工作員の夕べ」第32回 2_3.mp4
https://www.youtube.com/watch?v=g2FYF7pXh8k

特に下記の動画は元自衛官の方が祖父との感覚の差を感じています。
【伊藤祐靖】歴史に向き合う難しさ[桜H26_4_22]
https://www.youtube.com/watch?v=ej5uvW6Nnd4


去年90歳になるシベリア抑留された元日本兵の方とイベントでお会いしたことが有ります、陸軍も爆弾を抱えて敵戦車の下に飛び込む、陸の特攻が有ったのだと言っておられました。
そのイベントの2次会で別の方が、永遠の0の話題をその方に話していましたが、話題が盛り上がりませんでした。

その元日本兵の方が奮闘した日本兵を讃えて欲しいといった趣旨の事をその席で繰り返し述べて居られました。
 あの戦争に行った日本兵は、敵指揮官に指揮してみたいと言わせたほどの奮闘ぶりを見せました。
 永遠の0の原作や漫画を見て私も涙が止まらなくなった事が有ります、しかし、悲劇を憐れんで流す涙ではなく、奮闘を讃え感謝して流す涙が、本当は相応しいのだと考える様になりました。

 あの戦争が必要の無い、無意味な戦争だとは、日本が敗戦した後、西洋列強はアジア諸国を再植民地化するため軍隊を送り、各地で独立戦争を元日本兵も残留しながら戦った歴史を知った、今の私には既に思えません。今の様に、白人による人種差別が相対的に少なくなったのも戦後の1960年代以後の事です。

日本の世論の潮目は変わりつつ有りますが、今回のドラマの方の永遠の0を見て、まだ道半ばなんだなと感じました。
日本人の大多数の人々が旧日本兵の人々の思い流す涙が、途中は憐れんで流す涙であっても、いつか奮闘を讃え流す感謝の涙に移りゆくことを願います。


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