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2015年02月12日23:09

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【本日の歴史の事件簿・豆知識】

(うけないかもしれないから、なぁちゃん、ことAKB48の岡田奈々ちゃんの画像を貼っておきますね)

1984年2月12日に植村直己が北米・マッキンリーの冬季単独登頂に成功。下山途中に消息を絶つ。

マッキンリー山は、アラスカにある北米の最高峰で、標高は6194 m。先住民デナッイア族の言語で「デナリ」とも言い「偉大なもの」という意味である。1897年に当時のアメリカ合衆国大統領ウィリアム・マッキンリーにちなみマッキンリー山と命名された。しかし、1980年にアラスカ州法に基づき、山を含む周囲にデナリ国立公園が設置され、同時に、マッキンリー山をデナリと改称した。ただし、連邦地名局は引き続きマッキンリー山という呼称を使っている。

マッキンリーはエベレストよりも大きな山体と比高を持つ。エベレストの標高はデナリより2700mも高いが、チベット高原からの比高は3700m程度に過ぎない。マッキンリー山のふもとの平地の標高は600m程度であり、そこからの比高は5500mに達する。

マッキンリー山は極寒でも知られ、中腹4500m地点に据えられた温度計は最低気温-73.3°C(-100°F)を記録し、登山者にとっては標高の高さだけでなく高緯度に位置するために高山病の危険性が極めて高い山でもある。赤道地帯では、マッキンリー山と同じ標高の山では山頂で海水面の約47%の酸素があるが、高緯度に位置するマッキンリー山では酸素量はこれよりも少ない。

1913年6月7日にハドソン・スタック(アメリカ) が初登頂に成功後、幾人もマッキンリー山登頂に挑戦している。1947年にはバーバラ・ウォシュバーンが(女性として初登頂に成功。1970年8月30日には植村直己がマッキンリー山登頂により、五大陸最高峰の登頂に成功している。しかし、1984年2月12日に植村直己は厳冬期単独初登頂後の下山時に遭難し、行方不明となった。同様に1989年2月23日には山田昇、小松幸三、三枝照雄が遭難死している。

植村 直己は兵庫県出身の登山家・冒険家で、1960年に明治大学農学部農産製造学科に入学後、山岳部へ入部してからは登山に没頭し、1964年に大学卒業後、アルバイトで貯めた金を元手に、周囲の反対を押し切って横浜港から移民船「あるぜんちな丸」に乗り込み、アメリカ・ロサンゼルスへ向かった。到着後、不法就労でつかまるが、強制送還を免れヨーロッパへ向かった。

シャモニーでモンブラン(フランスとイタリアの国境に位置する、ヨーロッパアルプスの最高峰。標高4810.9m。フランス語でモン (Mont) は「山」、ブラン (Blanc) は「白」を意味し、「白い山」の意味)単独登攀を目指すが、クレバスに引っかかり失敗。

1965年、明治大学のゴジュンバ・カン登頂隊に途中参加し、4月23日登頂を果たす。ヒマラヤ遠征後、再びモルジンヌに戻るが、黄疸で一ヶ月の闘病生活を余儀なくされる。1966年7月にはモンブラン単独登頂に成功。同年10月24日にはアフリカ最高峰キリマンジャロ(タンザニア北部にある山。標高5,895m)の単独登頂に成功。

続いて1968年には南米最高峰のアコンカグア(アルゼンチンとチリとの国境付近のアルゼンチン側にある。標高 6,962 m。アジア以外の大陸での最高峰でもある)単独登頂に成功する。このあと、アマゾン川のいかだ下り6000kmの冒険を経て、北米最高峰のマッキンリー登頂を目指すが、単独登頂の許可が下りず断念。4年5ヶ月ぶりに日本に帰国する。

日本山岳会が創立65周年事業として、第1次アタック隊に松浦輝夫と共に選ばれ、1970年5月11日、エベレスト南東稜から登頂に成功。 しかし、大量の隊員を荷物運びとして使い、ほんの一握りしか登頂できない極地法による高所登山に疑問をもつ。同年8月、エベレスト登頂の勢いを借りて再びマッキンリーに挑戦、単独登頂を成功させる。この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者となった。

1978年、犬ぞりを操って人類史上初の北極点単独行に成功し、極点に到達した。同年にはグリーンランド縦断にも成功。 1979年にはイギリス王室から優れた冒険家に贈られるバラー・イン・スポーツ章を受賞するなど世界的な名声と評価を獲得した。

1984年2月12日にマッキンリーの世界初厳冬期単独登頂を果たす。43歳の誕生日であった。しかし翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となる。その後明治大学山岳部によって2度の捜索が行なわれたが発見されることはなく、山頂付近とキャンプ跡地に残された彼の装備の一部が遺品として発見されるに留まった。

1984年4月19日に国民栄誉賞を受賞。1994年、公子夫人と有志によって、記念館と「植村直己自然学校」が設立され、1996年には植村直己冒険賞が設けられ、毎年受賞者が選ばれている。

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