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2015年02月11日20:39

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原発事故で日本社会が失ったこと(1)・・・「3年前の揺れ」が想定外

水銀が当時毒性を重要視されて無かったとは、知らなかった。
武田教授にはいろいろ教わるところ多いです。目から鱗いくつ落ちただろう。

http://takedanet.com/archives/1019339193.html  (音声)
武田邦彦


福島原発事故で、日本社会が失ったものは大きい。それもその一つ一つはこれまで日本社会が大切にしてきたことでした。それが、政府や自治体、マスコミなどが「大したことはない」という事故で起こったのですから、考えてみなければいけないと思います。

(第一)

工場が事故を起こしても「想定外」といえば良いという大きな変化がありました。「想定外だから仕方がない」といっても、地震自体はマグニチュード9ですから、あるいは「想定外」といっても良いのですが、地震がどんなに大きくても、事故の起こった工場を襲った天変地異が現実に、想定を越えるものだったかということが問題です。

チリ沖で巨大地震が起きても、日本の震度が3なら、それを想定外と言うことはできません。現実に福島原発を襲った地震の揺れは震度6、津波は15メートルだったのですから、日本の常識から言えば、「普通に起こる地震と津波」です。

震度6の地震は日本列島では10年で平均13回ですから、ほぼ1年に1度です。また原発は日本列島のあちこちにあるのですから、もし震度6に耐えられない設計の場合、原発は毎年のように破壊されることになります。事実3年前の2009年の柏崎刈谷原発を襲った中越沖地震もほぼ震度6だったのです。

現実にも、2007年頃、つまり原発の稼働数が多くなってから、数年に一度は原発が震度6の地震に見舞われ、破壊されています。15メートルの津波も十分に起こりうるものですし、海岸線に建設されている原発が「地下一階が浸水したら爆発する」という設計であることは驚くべきことです。

工場の事故というのは、その規模はともかく、「想定外」のことで起こります。有名なPCBのカネミ油症事件では、当時、危険性がわからなかったPCBの配管が破れて食用油に混入したことが原因でした。PCBが毒性が強いことは「想定外」だった工場はそれを食品の加熱に使っていました。とくに危険という意識はなかったので、PCBの混入に対してあまり注意を払っていなかったのです。

それがある事故で混入して市場にでて、障害者を出しました。事故前は毒性についての情報(世界的に使われていた化合物だった)がなく、そのために工場側は「普通の設計、普通の注意」をしていて、もちろんお役所の正式な認可を得て運転していましたが、裁判では「故意ではないが有罪」となりました。つまり、想定外であっても、想定外でなくても、「被害を出した」という結果責任が問われたのです。

それより過酷な判決が水俣病でした。今では水銀が毒物ということは誰もが知っていますが、当時は水銀は歯の治療に使ったり、女性のおしろい、神社の塗装などに多用されていた「普通の元素」だったので、工場は設計も排出基準も全て守り、公的な認可を得て運転していました。

なにも問題がなかったのですが、後になってみると国の審査(現実には県レベルだが、基準は国が作る)が水銀の毒性を考慮していなかったので、被害者を出しました。これに対して裁判では「無過失責任」、つまり会社に過失はないが、責任はとれということで実質的に会社は倒産寸前に追い込まれました。

今まで日本社会は、過失があろうとなかろうと、危険が科学的に判断できなくても、「起こったこと」を重視して「毒物を撒き散らす」ということに対して、不当とも言うべき厳しい判断をし、社会もマスコミもそれを支持してきました。

でも、福島原発事故が起こると、今まで工場を糾弾してきたのは、「弱い者いじめ」であることが判明したのです。日本社会は「弱いと見ると攻撃し、強いと擁護する」という品性卑しい社会だったのです。

(平成27年2月3日)




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