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2015年02月11日06:16

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【なんちゃって文化】一部の関西人が「関西が一番」と思い込んでいる物【その3】

方言、食い物と来れば、次に来るものは決まったも同然?
これこそ、関西の人が最も“誇り”とするべきものでしょうが、ここについても、“一部の関西人”による行き過ぎた発想に、意義を唱えます。

■舞台芸能(特に落語)
まず、漫才については関東よりも関西の方が質が上である件。
関西、なかんずく大阪の人は、本源的に人を笑わす“秀逸なセンス”を持ち合わせている。
ここは、素直に認めます。

ところが、これが落語になると、だいぶ事情が異なる。
特に古典の演目では、時代背景やそれに関連した風俗・風習の描写が欠かせない。
噺家には勿論、聴衆にも、歴史や文化にかかわる予備知識が必要とされる、落語とは非常に高尚な娯楽なのであります。
同時に噺家には、巧みな形態模写や声帯模写の技能が求められる。
このための厳しい修行を日々続けていく中で、“笑いのツボ”というものを発掘していく。
こんなところから、落語は他分野の舞台芸能から一線を画した存在とされるわけです。

別の日記でも書いたように、落語の起源は江戸時代前後とされ、発祥に関する詳しいことは未だよくわかってないようですが、源流は上方(大阪)にあるとするのが、正しい見識のようです。
これが、江戸の初期から中期にかけて、複数の噺家によって上方から江戸に持ち込まれ、これが400有余年の歳月を経て発展したのが、今日の江戸落語であります。
一方、上方に残ったものも、それとは別の形で発展し今日の上方落語へと辿り着く。
舞台装置をはじめとする、視覚で捉える要素も異なれば、もとは同じ演目だったものも、ストーリー展開が全く異なる物であったりと、上方落語と江戸落語とは、色々な点で大きく遊離しているし、それぞれに特徴があり魅力がある。

ところが、ここにも“一部の関西人”に大きな誤解が存在している。

彼らは、「起源が大阪にある」という一点のみに固執し、これと言った理由もなく上方落語絶対主義を唱え、江戸落語を痛烈に批判する。
関西発祥で、関西の方が「先」だとしても、そこに優劣の差を決する要素は存在しないという事が、“一部の関西人”には、どうしても理解しがたいこと…いや、「認めたくないこと」のようです。
この「認めたくない」という発想の中に、彼らの関東人に対する“やっかみ”のようなものが存在するのではないかと、私は考えます。

落語に限った話をすれば、日本全国に視野を広げ公平に見た場合、上方落語よりも江戸落語の方が、受け入れる間口が遥かに広い。
上方落語は、近畿地方と三重県、福井県、香川県等、非常に限られた地域でのみ受け入れられている。対して江戸落語は、関西語圏以外のほぼ全国で受け入れられる。
また、プロの落語家を目指す人たちも、上方落語の真打に入門を希望するのは殆どが関西語圏の在住者(ごくたまに、中国地方や九州地方の出身者もいるようだが)、対して江戸落語の真打のもとには、北海道から沖縄まで全国から落語家の卵が集まってくる。
全国の落語ファンの過半数は、江戸落語を受け入れていると明言できる。
私自身、関東在住ではあるけれども出身は関東でも関西でもありません。しかし、幼少時から親しんできたのはもっぱら、江戸落語でした。
桂文枝師匠や桂文珍師匠、笑福亭鶴瓶師匠などは、タレントとしての記憶しかインプットされていない。

こうした観点から、上方落語のみを持ち上げ、江戸落語を批判する“一部の関西人”は、非常に偏狭で閉鎖的な見解の持ち主、という事ができるでしょう。
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