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2015年02月06日23:09

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怒涛の1週間でした。

2日に肺がんで叔母が亡くなりました。

会社帰りに電話がかかってきて、倒れたとの連絡で直ぐに病院にいきました。
駐車場に着くと危篤との知らせ、部屋に入ると亡くなっていました。
人に心配を掛けたくなかったらしく、1/29日から入院していたのを知りませんでした。

この一家はいろいろと大変で、叔父さんは前に日記にも書きましたが、胃がんで胃を全摘。C型肝炎から、肝臓がんで10日から手術予定。息子は知的障害者で比較的健康な娘との4人くらし。
ここからは娘一人で葬儀と兄の面倒と、父の手術の準備をしなければならない状況に。
もちろん従兄弟の自分としては助けを惜しまないわけで。

・・・でここから。

まず、病院から葬儀屋を呼び、家に運ぶが、ずっと病気だったため、散らかっていて、掃除やらなにやら、一通り済ませ運び入れその日はそれで。
ただ、知的障害の息子が目の前に寝ている母の死をなかなか理解できず、うちの母が付き添い説明。
そのやりとりが・・・泣けました。「母さん明日帰ってくる?」「どこ行った?」「お空って何県の?」「ご飯は?」

4日は午後から会社を休み、納棺。通夜は寺で行うため運ぶが、格式高いところで本堂までがやたら長いし、ほそい・・・腕はパンパン。

次の日の葬儀も無事すませ。出棺、火葬のため斎場へ。
その後、精進落としのために料亭に。その間も自分は喪主、遺族の運転係。

しかし、食事中に叔父が倒れる・・・少ない体力で無理をしていたらしい。
食事を中断し、救急車を呼び、息子を母にまかせ家に送り届け、娘とともに病院に直行。

喪服のまま救命救急にて待つ。
腹水が大量に出ていて、CTの結果、腸捻転との診断。緊急に手術を行うとのこと。
最悪大量に小腸をカットしたり、人工肛門をつけたりしなければならないと言われ。
最悪の覚悟までしました。

手術は0:00くらいまで覚悟してたのですが、10:00くらいに終了。
開けてみたところ、それほどではなかったらしく、カットもしないで済みました。
なんでも、12月にも手術していたらしく、腸の一部が穴が開いてしまってそこに腸が入り込んでしまったらしい。それを抜いて縫合。
すぐに意識も戻り、ICUで会うこともできました。
医者も脅かしてごめんねと・・・なんとか無事にいきました。

そこから、家へ娘を送って、母を回収。10:30帰途。
娘にはかなわないが、ぐったりでした。

今日も会社を休もうかとも思ったが、残業はやらずに帰ってきた。
電話で聞くと、叔父は昨日手術したというのに一人で歩いてトイレにも行ったとのこと。
ただ、もともと10日に予定していた肝がんの手術は延期に。

明日も仕事なので、11日は祝日出勤でしたが、もともと休むつもりだったので、お見舞いに行こうかと思ってます。

初七日法要とかも娘がやらねばならないのだが、踏ん張りどころだし、この試練は彼女を強くしていくだろう・・・助ける時はもちろん助けようと思う。



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