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2015年02月03日11:28

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死刑容認論者こそ救出を願うべき

■後藤さんに渡航中止要請=昨年9月から3回―政府
(時事通信社 - 02月03日 03:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3255720
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本当だとしても後藤氏(と湯川氏)の救出に、国が全力を尽くすべきことは変わりませんよね。
国っていうのはそういうものですからね。

その成り立ちはどうあれ、国なしで生きるのは困難だから国があるわけで。
国民は、自然の中で共生するための国という形を維持し。
共生を守ってもらうために、税金などを払っているわけですから。

んで、国は「共生のための共同体」であることを守るため、個人を超える権力を持つわけで。
悪いことをした場合、国によって罰せられることを国民は受け入れなければならないわけです。
そのとき国は個人に認められる「人権以上の権力」を行使するわけで。
別に死刑に限らず、刑務所に入れることだって人権を侵しているわけで。
国だけがそれをできるということを、多くの人間は認めて生きているわけです。

とはいえ、死刑というのがその−国だけが人権を侵せるという−究極であるのは本当で。
「共生のための共同体」のルールの破り方が甚だしい(すなわち究極の「悪事」と認められる)場合に、「国はそこまでやっちゃうよ」−と。
これが死刑制度なんですけど。

それが容認されるには、国は「共同体の使命」を貫くことが大切で。
国民を守り、助けるということを、徹底しなければならないわけですよね。
表裏一体なんですよ。

同時に、当の国以外によって、死刑が執行されることは、国の汚辱になるわけです。
唯一の例外が、他国で死刑に値する罪を犯して正当な裁判のもとに執行される場合ですが。
今回のケースが当てはまらないことは明々白々ですよね。
それどころか殺される理由が「日本人だから」なわけで、とんでもない。

最新の内閣府世論調査では、わが国では死刑容認論者が約80%にのぼるということです。
まあ俺も、「執行に至るまでのあり方を不断に見直し続けるべき」という前提の上で、容認っちゃ容認の方です。
だからこそこの二人が、国によって救出されることを願っていた。

仮に−そんなひとはいないと思いますが−死刑容認論者で「自業自得、国は助けなくていい」と言うひとがいるとしたら。
それは真っ当な死刑容認論者ではなく、単に人命軽視している輩で。
同時に国というものを軽視しているわけですね。
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