★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 林住期道楽交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ 林住期道楽交心sz3102
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恋いくつ心に火花寒昴
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> あの日から
誰が計りし
数十年
無色透明
さんかく定規 千呼
来る年も
また逝く年も
心には
綯い交ぜに在り
透明心象 旅仁
恋いくつ心に火花寒昴 旅仁
念ずれば咲く心象の華
☆☆☆ 千呼さんの『 さんかく定規 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
> 賢治歌0690B
「聞けよ」('Hore,')
また、
月はかたりぬ
やさしくも
アンデルセンの月はかたりぬ。
ぼくにはついに月の語りは何も聞こえないのでしょうか・・・
子どもの頃からアンデルセンを読んでいたならひょっとするとぼくのような凡庸の人間にもアンデルセンの月は語りかけてくれたのかもしれませんけれど。
自然と友だちになりたくて、自然と交心したくなりたくて・・・ぼくは旅仁になって自然と語り合える旅をはじめましたけれど、身は歩かず、心ばかりがここでもないあそこでもないと徘徊し廻る言葉あそびの惚け老仁を彷徨うばかりのようです。
> 賢治歌0689A あたまのみわれをはなれてはぎしりの白きながれをよぎり行くなり
しかし賢治さんも実際歩きながらも、眼は周辺を追いながらも「あたまのみわれをはなれて」ただただ心象の風景を遊泳しはじめたようです。
それでも実際の歩行者の心象風景と言葉あそび旅仁の空想風景とでは雲泥の差があるものです。その差の余りもの大きさが逆に凡愚仁には凡愚の居場所を確かめるそしてそれで好いんだと自足する楽しみの遊泳にもなっていくようです。
それでも子どもの頃から歩く人だった賢治さんの足跡を拾い読みしていて、もう一度少年時代に戻れたら、やっぱり真似賢治さんを生き直そうと念ったものでした。その時こそはもう少し健全な身体をもって山野を歩行できる少年でありたいと願います。
ランボーさんは見者幻視の詩の彼方へ砂漠の歩行者になって猛進して行き病魔に遭遇して不条理の死に捕縛されてしまい本当に空の華になってしまいました。
不条理の死は賢治さんをも鷲づかみにしてしまいましたけれど・・・
ランボーさん、37歳です。
賢治さんも37歳です。
願わくば三十七にて春逝かめ 旅仁
二十三過ぎ七十七過ぎよ
若い頃は23まで生きられないと感じていました。
生き延びて27までも生き延び不思議な気がしました。
もう37さいまででいいよと念ったものでした。
71を過ぎてしまい、
せめて77までは生きもうけを念ってしまう凡愚仁になっています。
賢治さんもデクノボウを生きながらその真摯な求道精神は天分の詩心と光合成をして見者の道を幻視しはじめたようです。
そんな賢治さんの初心を語るような作品にめぐり逢いました。
その作品は賢治さんが盛岡高等農林学校第三学年の時に、仲間とともに創刊した文芸同人誌『アザリア第一号』でした。
その創刊号に賢治さんは「みふゆのひのき」という短歌20句と『「旅人のはなし」から』という作品を掲載しています。
1917年の創刊ですから賢治さんはもう21歳になっています。
文芸へのデビューです。
関係ありませんけれど、ランボーさんは21歳でもう詩を捨ててしまったんですね。
ぼくが賢治さんの初心じゃないかと思った文章は
< ・・・ この多感な旅人は旅の間に沢山の恋を致しました、女をも男をも、あるときは木を恋したり、何としたわけ合やら指導標の処へ行って恭しく帽子を取ったり、けれども、とうとう旅の終わりが近づきました、旅の終とは申すものの、それはこの様なやはり旅の一部分でございました、 ・・・ >
というところです。
その旅人は禅の公案の世界を遊泳したり、『戦争と平和』という国に遊びに行ったり、色々な王様のいる国やいない国を旅し、自分の国に戻るというお話しです。
何が大切なものであるかを探し回るお話しのようで、『星の王子さま』にも似た王子さまの旅物語です。
ぼく流に言い換えると読書歴の世界を遊泳する時空の旅人なのでしょう。
「賢治、なにか言っておくことはないか」
と尋ねる父親に賢治さんが答えたことが賢治さんの初心の総決算だったのかもしれません。
「国訳の妙法蓮華経を1000部つくってください」
「うむ、それは自戒偈だけでよいのか」
「どうか全品をおながいします。表紙は朱色で校正は北向さんにおねがいしてください。それから、私の一生の仕事はこのお経をあなたのお手許に届け、そしてあなたが仏さまの心に触れてあなたが一番よい、正しい道に入られますようにということをかいておいてください」
「よし、わかった」
賢治さんの死の間際の父子の対話です。
「おれもとうとうおとうさんにほめられたもな」
賢治さんは父さんが階下に下りた後、弟さんに微笑んだそうです。
賢治さんを休ませようとみなさんが下がった後母さんも下がろうとした時、オキシフルでからだを拭いていた賢治さんはそのオキシフルを落としてそのまま永眠しました。
賢治さんは初心のままの天才詩人であったと詠んでも可笑しくないような気がします。
そんな比類のない巨人の真似を凡愚老仁に出来るはずもありませんけれど、そこは凡愚仁の凡愚のたぶれひとりあそびだと笑って、ご寛容ください。
軽んぜずたぶれ真似ごと許せ月 旅仁
迷いの道も終の棲家ぞ
寒昴惜しむ小さきこの命 旅仁
如何なる世にも誓え不戦
★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 青柳仁リンク ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
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★ 。・。・゜♪゜・。・。★ そのまんま575で交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
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