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2015年01月31日14:40

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アイドルアニメ考察(超・長文)

今年始まって、とある友人に久々に会った。
色々な話の中で出た友人の問いかけ「アイマスとラブライブ、どう違うん?」と言う疑問。
いやはや濃い話題が出るもんだ。

アイマスは元がアーケード・ゲームで、ラブライブは雑誌企画が発端。
そこからスタートして、ゲームもコンシューマやソシャゲに移り、両方ともアニメ化した。
知ってるキャラと言えば、水瀬伊織と南ことり。
今ではキャラソン等の展開もしていて、アイマスは今年で確か10年目を迎える。
正直、これ位しか答えられなかった。・・・充分?

「どっちが面白いん?」
もうこれは、「さあ・・・?」と答えるしか無かった訳だが、そもそも私の主観や好みを聞いて
どうしようと言うのか・・・。
そんなやりとりが暫く続き、そこから改めて興味が湧いてきた。
それだけでは無く、他のアイドルアニメも有るだろうから、一度アニメでも視聴して、いつもの
感想枠でも取るか、位の軽い気持ちで「アイドルアニメ」をこの際掘り起こしてみよう
というもの。
まずはアニメ版の「アイドルマスター」と「ラブライブ」の全話を一通り観賞し、自分がどの程度
理解しているのか書き出す事にした。


今回はそれぞれの「アニメ作品」のみの言及とさせて頂くつもり。
(比較や参照で他ジャンルの物に言い及ぶ場合も有るが、詳しい解説は省略する)


そして注意事項。今回は解説の都合上、壮絶なネタバレが控えている。
出来る事なら、両作品共に視聴した上で読んで頂けると、復習にもなって楽しめると
思うのだが・・・。




さて、まずこの二作品、「どう違うのか」という話から。
有り体に言ってしまうと、両作品で共通しているのは、
「女の子が」「歌って」「踊って」「なんかする」という部分で、“アイドル”という定義自体が
両作品では根底から似て非なる物だった。
更に加えると昔の“アイドル”と言う考え方と、現在のものとは、若干のニュアンス違いも
有ると感じた。

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「THE iDOLM@STER アイドルマスター」は765(ナムコ)プロという弱小芸能プロダクションに
所属する女の子たちが苦悩し葛藤し、そこから成長するサクセスストーリー。
(元のゲーム開発が、鉄拳シリーズ等でお馴染みのゲームメーカー“NAMCO”から
来ているので、読み方は「ナムコプロ」となる)

12人のアイドル候補生の女の子と、元アイドルの女性プロデューサー、そして女性事務員と男性プロデューサー、社長で構成されるメインキャラや業界で働く人たちが出てくるが、殆どは765プロの中のドラマであり、アイドル達のデビュー間もない時期に新人プロデューサーが
やってくる所からドラマは始まる。
女の子たちの年齢はばらばらで、中学生から20歳と、学生と兼業している者が殆ど。
仕事の内容も歌にダンスを初め、モデルにドラマ出演、MC、司会業と芸能活動を幅広く
手掛けている。
所属する女の子たちは仕事に対する動機もモチベーションも違うが、765プロの中での
仲間としての結束は強く、全員で参加するライブイベントも存在する。


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一方の「ラブライブ」は、東京の国立音ノ木坂学院(女子高)が舞台の中心であり、近年の
少子化とドーナツ化現象のあおりで生徒数が年々少なくなり、三年後に控えた廃校の危機を
救いたいと行動するところから物語はスタートする。つまり、主人公達がスクールアイドルと
なって学校の知名度を上げれば入学希望者の数も増え、学校を存続させることが出来る、
というものだ。状況は崖っぷちだが、良く出来ている。全世界の存亡などという大風呂敷では
無く、もっとミニマムな世界での話だ。

この作品世界では前述の「スクールアイドル」という物が全国的にアツくなっており、とても
学校活動の一環とは思えぬクオリティのビジュアル、歌、ダンスを披露するユニットが存在する。
それを専用のネットサイトに投稿し、投票でランキングが上がると全国ナンバーワンの祭典
“ラブライブ”に出場出来るというものだ。
伝統や格式といった学校の特徴に加え、エッセンスとして「人気のスクールアイドルが居る
学校」と認識させることが集客にも繋がる、という考え方をしている。


アイマスは個人活動や複数人でのユニット、そして全員での活動が主となるのに対し、
ラブライブは主人公たち二年生が三人、一年生三人、三年生三人の合計九人が主となる、
言わば学生の部活もの。
「プロの仕事でのアイドル活動」と「部活のスクールアイドル活動」なので、それぞれ活動基盤も舞台も規模も違うが、根底では近い物があるのだ。
それは、「みんなで一緒に」という部分。
仲間通しの友情と言う部分は共通して丁寧に描かれており、両作品共に異性との恋愛要素は
基本的に無い、もしくは薄い。と言うか作品内では重要視されていない。


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ラブライブでも学年ごとに集まったりする描写は多いが、九人で作った「μ‘s(ミューズ)」というスクールアイドルユニットは九人でμ‘sであり、一人欠けても誰か増えても、それはμ‘sではない、という結論を主人公たちは出している。メンバーが歌うソロパートは存在するが、一人やユニット内の複数人の単位での活動は無い、ということ。あくまでも劇中で中心だった
「九人で一つ」という事だ。
そういった意味では“みんなで叶える夢”という台詞は、もっともそれを良く現していると言える。
因みに“ミューズ”という名は雑誌企画の時に一般公募されて決まったもので、アニメ劇中でも
同じく校内のアンケートから採用している。後に由来が解るが、「ミューズ?石鹸?」という
ボケは劇中でも何度かカマされている。ギリシャ神話のムーサ、ムシケと呼ばれる文芸を司る
女神たちが元ネタ。ローマ時代後期に文芸の概念が定まり、そこをヒントにした上手い
ネーミング。


今度は活動内容に触れて行く。

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アイマスの765プロの女の子たちは、物語が進むにつれ、様々な仕事やレッスンを
経験する事でスキルが上がって行く。あがり症の子もマイペースな子も、自分の目標を
見付けて日々精進する事で、ある者は才能を開花させ、ある者は目標を明確にしてゆく。
ラブライブは部活としてアイドルユニットを結成し、廃校を回避するため、同じくしてスクール
アイドルの祭典“ラブライブ出場”という目標に向けてメンバーが徐々に増えていく。

アイマスでは最初からキャラがプロダクションに所属している状態だったが、μ‘sは発起から
結成までを描いているので視聴者の共感を得やすくなっている。これは元のゲーム時代の
歴史があるから既にアイマスを体験したファンには不要だし、それを差し引いてもアニメでは
特に最初から動機の描写が無くても後々のエピソードでフォローが入る。
男性プロデューサーが着任する所からスタートする時点で、視聴者の視点を持つ代弁者が
アイドルキャラの誰かでは無く、彼であると言う構成なのだ。
但しアイドルを目指す理由が薄いというのも確か。アイドルは通過点ぐらいに考えている子も
居たり、「目指せ、トップアイドル!」という漠然としたものだ。トップに立ったら即引退、というわけでもないだろう。そこは個々人での動機や向上心といった内面に深く関わっている。

前者がプロの芸能活動であるという「仕事」をベースにしている事から、キャラは学生でも共感を得られる年齢層は高め。後者は学校がベースであるため、中高生といった等身大の
アイドルという目線なので、ファンも実際の中高生といった学生が多い印象が有る。
(これはあくまで個人的な印象だけど)
仕事仲間との団結か、同じ学校のクラスメイトや上・下級生との団結か、の差だからより
等身大の彼女らに、現実の学生からの人気が有るのも頷ける。

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両作品とも、歌やダンスのレッスンは言うに及ばず、柔軟体操や基礎体力作りの準備運動と
いった、激しい活動を支える身体造りを丁寧に描いているのも特徴的。

アイマスでは殆どのキャラが学業を終えた放課後、事務所に出勤してスケジュール通り仕事に
行ったりレッスンを受けたり、プロデューサーに同行して営業や打ち合わせに行ったりもする。
プロデューサーとは呼ばれているが、実際にはマネージャーも兼任しているのであろう。
この辺りは多少ディフォルメされているが、これは現実の活動と遜色無い。
時には出張で他府県に行ったり、勉強時間が取りにくかったり、実家に居るとあれこれ用事を
しなければならないので事務所で勉強する者も居る。キャラが自分の出番が来るまで自宅待機、
というのは絵的にもサマにならないし、彼女たちは自分のスケジュールが空いていても事務所に顔を出している。

私生活で友人が居ない訳でも無く、ただそうしたプライベートな姿はカットされているだけ。
後半になって売れ出すと、週刊誌記者やファンに“出待ち“されたり、街中では簡単な変装を
するなどして余計なトラブルを回避している。
これはラブライブでも同じ。尤も、こちらは主に他校の女生徒から写真やサインをねだられる
という可愛らしい物だった。

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μ‘sのメンバーは生徒会役員や他の部活と掛け持ちのメンバーも居るが、基本的には朝の
練習や放課後の練習を通じ、学業とアイドル活動を両立させる過程で仲間通しの
コミュニケーションを描いている。
自分たちに欠ける才能を持つ者からは専門的なレッスンを受けたりもするが、基本的には
オトナはそこに介入せず、作詞作曲、そしてダンスの振り付け、衣装の製作も自分たちの
手作りで行っている。
部活には大人の先生の顧問や監督が通常は居ると思うのだが、設立の経緯がやや特殊なため、劇中に明確な描写は無い。主人公達が部活の申請をした際に、既にアイドル活動研究部が存在していたのだが、在籍部員は一名のみ。設立当初からのメンバーは一人抜け二人抜け、活動も有名無実のものだった。一人でまともな活動など出来るはずも無く、話し合いの結果、統合して正式にアイカツ研究部・・・μ‘sが誕生する。

近年のなんちゃって部活モノとは違い、正式に手続きを踏んで部活の承認や部室の確保を
行ったり、文系の作詞活動や作曲・演奏の音楽と、ダンスの体育会系の基礎練習を手抜かり無くやっているので、本番のライブでは最高のパフォーマンスを発揮している。
要するに真面目な野球部やサッカー部のアニメがスクールアイドルのライブに置き換わって
いる構図なのだが、ここだけでもドラマは熱く描けるし、実際メンバー間の確執から和解を
経る事で、メンバー通しの友情を深めている。誤解の無いように重ねて言うが、ラブライブは
青春ドラマの側面が強い。


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ただそれだけでは窮屈なものとなるため、それぞれの作品では合宿ネタや部活帰りの遊びなども魅力的に描いている。年頃の女の子のドラマなんだが、前述通り異性との恋愛要素や
ドロドロした確執要素が薄いので、彼女たちの成長や日常の他愛のないドラマを色濃く残しているとも言える。

加えるならば、近年に代表されるインターネット環境にも大きく依存している点が、
旧来の作品と一線を画している。
曰く、「歌ってみた」「踊ってみた」動画。劇中ではもっとグレードが高い版とでも言うべきか。
配信を行う事で、遠い地のスクールアイドルたちのパフォーマンスも即座に視聴することが
出来、再生数や投票数でランクが決まる、というものも近年っぽいものだ。
TVやラジオといった一方通行のメディアから、近代的な双方向性を持った形態にシフトして
おり、完全に2010年代以降の世相であるサブカルを下地に世界観が構築されている。

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そこには要素として、再生数に対する広告料やアフィの存在は描かれず、純粋に
“発表の場“として描かれている。廃校の件もそうだが、こちらは徹底的に生々しい金銭のやりとりという要素が除外されている。せいぜい「部費が〜!」といった校内の部活予算についての言及が有る位だ。
また、アイマスでは「携帯電話」が彼女らの小道具という時代的な背景があるが、μ‘sの
メンバーはスマホでのグループ間での通話を度々行い、深夜の自宅や離れた場所でも積極的にメンバー間でコミュニケーションを取っている。


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両作品の屋台骨とも言える、“ライブ”について。
まずはダンスシーンのカメラワークやキャラ造形から解説。

アイマスは、元は3DCGのフルタイムモデルが動くゲームであるため、アニメでは逆に、
全手書きの迫力あるライブシーンが幾度か登場している。
カメラの切り替わり、ズーム、パンといったカメラワークですらアニメで動かしている為、
アイマスのライブシーンはアニメ以外の表現方法では再現不可能なのではないか、という位の
クオリティを誇る。

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アニメのオープニングも半分はライブシーンの作画が占めているが、カメラがキャラの間を
舐めるように動き、キャラを捉える。キャラはカメラが近くなるとカメラ目線。
時にはウィンクや投げキッスまで描いている。
ライブシーンに至っては、エンドクレジットでその原画スタッフの圧倒的な物量と言うか、
全戦力投入とも言うべき布陣で超絶作画が行われている。キャラの汗、振り付けのタイミング、角度、そしてキャラの骨格や筋肉の特徴までも描き分けられているという、一切の妥協の
無さは何度観ても飽きの来ない丁寧な作り。
そしてコンサートではなく“ライブ”なので、観客も一緒に参加して楽しむという風景が描かれている。ご贔屓のアイドルのカラーに準えたサイリウムが振られ、コール、合いの手が入る。
画面にも観客が良く登場し、ステージのライティングや造作のカットも多く、視点もカット毎に切り替わってライブの全体像を映し出すというスタイルだ。


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ラブライブは基本的なダンスシーンは3DCGと手描きの融合によるもの。カメラがキャラを
大写しする際は手書きで描き込まれており、一律のプログラミングとは違ってキャラ一人一人の振り付けの違いや、揃える所は揃えるタイミングなど綺麗に、そして可愛さを前面に押し出した
作りになっている。

余程眼が肥えていないとCGとアニメの境界が解らないクオリティ。
雑誌企画の時点より、ライブのダンスシーンはCGで、というところからスタートしているので
この折衷案は当初からの織り込み済み。更には一話目から最終話までの期間の、CGの技術的
進化もあるので、こればかりは発表時点でのクオリティと考える他無い。
衣装も凝っており、イベント毎に製作のクオリティは向上。ワンメイクの衣装という設定で
あるため、キャラに合わせたデザインアレンジが施された、現実のコスプレイヤーからすれば
垂涎のコスチュームと言えるだろう。
統一した意匠をベースにしていて、裾や肩の処理など個々の違いを見付けるのも楽しい。
更には衣装の使い回しをしないので、コスを見るだけで登場時の記憶が蘇る。



次は歌について。
アイマスはこれでもかと言わんばかりに、劇中に個々のキャラやユニットのソングが劇伴として
流れ、絵コンテもその曲に合わせたタイミングやドラマが描かれている。
旧知のファンならニヤリとする選曲だろう。
一方ラブライブでは劇伴のインストBGMは多用されるが、μ‘sの曲はライブシーンにしか
使われない。
これは、彼女たちが一生懸命に作った、大事な曲だからこその扱いなのだ。


どちらがどう、というのは演出方針が違うため一概に言える事ではないが、アイマスは
アニメ化までに発表された曲が100曲を越えているので、この様にファンサービスを念頭に
置きながらも、そういった作劇にし易かったのだと思われる。
劇中ではプロに用意して貰った歌ばかりではない。765プロのメンバーが全員で作った歌が、ある話で登場する。初見だとなかなか気が回らないが、画面ではしっかりと描かれている。


歌の内容は様々だが、どちらの作品も「年代・性別を問わない応援ソング」が主題歌として耳に残る。恋愛の歌もあるが、シナリオにはあまり絡んでこない。
つまるところ、両作品とも“ライブ”に関する考え方や方向性が違うため、同軸での比較論は正直難しい。ライブに至る課程、キャラクター間のドラマも似たエピソードがあるが、奇をてらった
斬新なエピソードが良いかと言えば、そうでもないと私は考える。
王道、そして普遍的と言えるものだからこそガチで描写せねばならず、そこにスタッフの力量が
如実に表れる部分だからだ。特殊な状況がストレートに伝わるのならまだしも、内面や人物間のドラマは決してそうではない繊細な部分だからだ。




作劇について

登場人物と物語の基本方針を組み合わせて行けば、大まかな骨子は出来上がっていく。
アイマスでは登場人物は、社長を除けば全員が十代〜二十代の女の子である。
社長は要所での登場しかしないが、プロデューサーは基本的に事務所に居るか営業で外に
出たり現場に行ったりしている。その中でキャラ達は年上のお兄さん感覚で、プロデューサーに様々な無茶振りをしたり相談を持ち掛けたりもする。ゲームとは違い、個々の女の子との
恋愛要素は無いので、あくまでも信頼されて頼られるという存在だ。そして台詞や行動も
彼女たちより前に出しゃばらず、やきもきするかもしれないが大人の対応を随所で見せている。

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初期は焦りからヤル気と行動が空回りし、失敗も多い。彼も彼女たちと同様に、ある部分は
未熟で完全とは言えず、それでいてどこか親しみのあるキャラとして一貫した描き方が
されている。いわばゲームプレイヤーの分身とも言うべき存在の彼は、男性から見ても
時には羨ましく、時には同情心をくすぐり、そして彼女たちの力になってやれる存在として
応援したくなるほど感情移入出来る部分が有る。
元のゲームは自分がこのプロデューサーであるため、登場人物は全てこちらに問いかけてくる。その分身のアニメ化なのだから不要論も有る様だが、仮に不在であったとしたら、劇としても
ドラマとしても全く盛り上がらないものとなっていただろう。

アイマスは彼女達の心や環境といった所からドラマが生まれている。
後半になると、765プロを目の敵にする“敵”とも言えるような存在が出てくるのだが、これも
終盤には問題が解決してしまうため、本当の意味では「みんなで一緒にがんばろう!」という
団結こそが最大の敵となる。

アイドル候補生だった彼女らも成長し、経験を経てやがては売れっ子となってゆく。
アイドルとしては最大の結果だろう。
しかし彼女らは個々での仕事も取るプロであるため、次第に仕事の少なかった初期の様な
事務所での和気藹藹とした様子や団結が薄れて行ってしまう。
アニメでも描かれたが、アイドルの他事務所への移籍、というプロならではの問題にまで
作劇の幅を広げている。さらにはスキャンダルやゴシップにまで波及するため、不穏な空気が
終盤は目立って来るのだ。
売れるに従って彼女らの「みんなで一緒に」という思いから、かけ離れて行く過程はとても残酷なジレンマである。


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一方ラブライブはと言うと、徹底して男のキャラは除外されている。父親やモブシーンの
カップルなどは出てくるが、知りうる限り男性声優は一人も参加していない筈だ。
「彼氏は?」と言う様な色恋話もすぐに流され、笑い話として次の話に行ってしまうので、
恋愛ソングを製作する時は非常に苦労していた。
その代りに同級生や教師、学園の理事長、両親姉妹と様々な人々が物語で登場する。
元々少子化のせいで廃校となる背景が有るため、三年生で三クラス、二年で二クラス、
一年生に至っては一クラスしか無い。全校生徒で二百人前後だろう。
ちょっと前に生徒数五万人のマンモス校とか言うふざけた設定のアニメが有ったが、こちらは
現実的に有り得る背景。現役の彼女たちなりに出来る事として考えれば説得力が有る。
そこで、それが「解決」したとき、それを目標に頑張ってきたメンバー達は、まず今後どうするのか
という問題に直面する。

目標を達成してしまったら、モチベーションの維持は更なる目標を欲する。
そして“三年生の卒業”という問題。メンバーの中にも三人の卒業予定者が居る。
これは全26話(分割二期)の終盤近くに主人公達の心に影を落とし、大会前に決めて
おかなければならない事として、先送り出来ない現実を突きつける。
765プロの子らには頼れる大人としてプロデューサーが居るし、女性の先輩も居る。
大きな問題には社会的な筋道として、社長を通して解決したり助力を乞う場面もある。
しかしμ‘sの子らは自分たちだけで解決して行く、というスタイルを取っている。
これは閉塞感にも近い手法だが、その分自分たちの絆は深まり、成し遂げた感は半端では
無い筈だ。

外敵・・・というよりも目標として、ライバルとしてμ‘sに立ちはだかるA−RISE(アライズ)という
地元のスクールアイドルユニットが存在する。彼女らは全国トップという地位ではあるが、
とても紳士的(淑女的と言うべきか)で、μ‘sのメンバーを正当に評価し、時には協力し
アドバイスさえ投げかけたりもする。
μ‘sのメンバーにも、各自背負った事情が有るが、大凡は外敵という存在があるため、
より団結というファクターが強調されている。それだけに最終話が近付くにつれ、メンバーの
想いと視聴者の想いが重なり、刹那的な“僕らは今のなかで輝きを待ってた”と歌う彼女らに
共感できた。
一期・二期と分割されているため、よりストーリー重視なのが一期目、キャラ間のドラマ中心
なのが二期目と特徴が出ている。
ストーリーはやや強引と感じる物もあるが、最初から二期通しての製作とされていれば、
また描き方も違ったはずだろう。



そろそろ締めに入るが、今回の記事は各作品を語る上で、最も基本的な情報しかまとめていない、序章の様なモノ。
というワケで、アイドルアニメの「アイマス編」「ラブライブ編」、そして今期放映されている
真っ最中の「THE iDOLM@STER シンデレラガールズ」の途中記事、最後はやるかどうか
微妙だがその他のアイドルを題材にした作品についても枠を取ろうと考えている。

最初の友人の質問に対する答えは、記述した内容をもって返答とすることが出来るが、
もう一つの質問に関しては・・・正直「どっちが面白いか」と問われれば、「両方面白い」と
答えるしかない。
それぞれベクトルが違うものだし、どちらかが好きでどちらかを貶める様なモノでは無い。
少なくとも両作品からは、パワーと言うか、強いオーラの様なモノと、スタッフの愛情が
感じられた。
なので自己完結してしまうが、「両方良いからどっちも観て楽しめ!」 という事か。

この記事を下書きするだけで文献の読み込みとアニメの再視聴、キャプ撮りなどで2週間以上
掛かった。撮ったキャプ画や採取した絵はまあ・・・2GBといえばピンと来るかな?
画像の枚数にして約8000枚。
その間、模型やその他に使っていた余暇の時間というリソースは全てアイマスとラブライブに
つぎ込んだ。

笑ってくれ。
ハマればこんなモノだ。がしかし、新たな発見の方が大きかった。
今回はおしまい。お付き合いアリガトでした。

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