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2015年01月23日19:55

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残念すぎる夫

■ドラマ『残念な夫。』の“育児あるある”に共感の声殺到! 経験者が語る「産後離婚」を避けるポイント
(ウートピ - 01月23日 12:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=184&from=diary&id=3239605

ある旦那を思い出した・・・。

妊娠出産後、義父が亡くなったりと大変な話ですが・・・。


『《 一ヶ月検診 》

娘の退院後、初めての検診に行った。
1ヶ月検診は、赤ちゃんだけではなく、母親の産後の経過もチェックする。
私は産婦人科で、娘が異常に泣き止まない事、
私が、かなり気分がウツになっている事、
食欲がない事などをすべて正直に告白した。

そして、娘の検査を色々したが、どこにも異常はなく、元気そのものだった。
草食動物Drは、
「赤ちゃんは泣くのが仕事ですからねぇ・・・。」
と、相変わらず、穏やかに言った。

「ここもか・・・。」 
やはり光明は見えず、がっくり肩を落とし
『異常なほど泣くんだよっ!!』 と、心の中で悪態をついた。
しかし帰ろうとすると、看護婦さんにつかまり、
「夜中泣かれるとつらいよねぇ・・。そんな時は、いつでもここにTELしてね。」
と、言われ、思わず、涙が出た。(その日の夜中TELしたのは言うまでもない)

母乳については、「マッサージしてあげるから、しばらく通ってみたら?」
と、言われ、気分転換がてら、通ってみた。
しかも、婦長じきじきにマッサージしてもらった。
噂では、おっぱいマッサージは痛いと聞いていたが、
婦長がうまいのか、とても気持ちよかった。(しかし、飲ませられるほどは出なかった)
おかげで、気分が少しだけ楽になった。
 

《 要注意人物 》

私は毎日の戦いでとても疲れていた。
私の様子を見かねた母は、こまめに我が家に通い
大切な孫に私が手を出さないよう見張っていた。
もはや娘を、可愛いなんてちっとも思えなくなっていた。

電動ラックがきてからは抱かなくていい分、楽にはなったが
かといって、泣かなくなった訳ではない。
毎日「ぎゃーぎゃー」 ラックの上で飽きもせず泣いていた。

そんな時ふと、母子手帳の裏に 「巡回育児相談申込書」 
というのを発見した。

「これだ!!」 私は早速、はがきで、巡回相談を申し込んだ。
すると、若い保健婦さんが我が家に訪れた。
「育児について、悩み事はありますか?」
その保健婦さんは、とても優しい方で、(YUさんというかたでした)

私の言葉の一つ一つを拾うかの様に、話を聞いたくれた。
私は、話している内に、涙かとまらなくなり、ついに
「子供が可愛いと思えない・・。」 と正直に言ってしまった。
「皆さん、そうおッしゃいますよ(笑)」
YUさんは、そんな私をとがめることなくただ、ただ、私の話を聞いてくれた。

「気がかりな事があったら、いつでもTELして下さいね。また、来ますから。」
そう言ってYUさんは帰っていった。
それ以来、こまめに、TELをくれたり、
「近くに来たから」 と、我が家に寄ってくれたり、
私の心のケアを本当に助けてくれた。(YUさん、感謝してます。)

今になってよく考えてみると、
あの時、私は 『幼児虐待』 の要注意人物として
保健所からマークされていた事に気が付いたのだった・・・。
 

《 義父の他界 》  

電動ラックがやってきて、私の育児にようやく晴れ間が見え始めた5月・・。
以前から入院していた義父の具合が、悪化した。
もともと、心臓病を患っていたのに、インフルエンザにかかり、
心臓に負担がかかってしまったのだ。

それで、2月から大分の病院に入院していた義父だったが、
ついに大阪にある、心臓の専門の病院へ転院し、手術をすることとなった。
しかし、手術はうまくいかず、義父は危篤状態になってしまった・・・・。

そして、ある晩、深夜2時頃、大阪で義父の付き添いをしている
義弟から、TELがかかってきた。
「お父さんが明日にでも、亡くなりそうなんだ。明日、朝一番で
こちらの病院にきてくれないかな?多分、最後になると思う。」 と・・・・。

その日、ダンナは呑気に飲み会に行っていたので、
私は大慌てで、ダンナの携帯にTELした。
「あ、もしもし、私だけど・・・。」 バックからは呑気にカラオケの音が聞こえていた。
「・・・。」 プツッ、プー、プー。

切りやがった!

また、娘が寝ないと愚痴でも聞かされるとでも思ったのか!?
それから、しばらくして、TELが鳴った。

ダンナがかけ直してくれたと思った私は、受話器に飛びついた。
しかし・・。それはまた、義弟からのTELだった。
「ごめんね。ダンナ飲みに出掛けてて、連絡がとれないの。」
「!!とにかく、大急ぎでこっちに来てね。間に合わないかもしれない」
私は、ひたすら、義弟に、謝るしかなかった・・。

そして、ダンナが帰宅したのは、午前3時を過ぎていた。

朝になるのを待って、娘を母に預け、
私とダンナは大阪行きの飛行機に飛び乗った。

病院に着くと、私達以外のすべての人が集まっていた。
義父は、既に脳死状態だった・・・。
とりあえず、義父の顔を見て、私達は別室に集まり、今後の事を話し合った。

そして、その夜、義父は帰らぬ人となった・・・。

 
《 お通夜と告別式 》

娘を連れに福岡へ戻った私達は、大慌てで荷物を用意した。
もちろん、電動ラックも、ダンナの実家へ持参した。
私達の荷物はまるで、引越しのようだった。
ダンナの実家に戻ると、通夜の準備で親戚一同大慌てしていた。

長男の嫁の私は、ここ一番頑張ろうとしたが、
娘の大泣きで結局世話に追われ、大した手伝いも出来なかった。

しかし、娘を連れて行ったことは大いに喜ばれた。
義父が泣くなり、目を真っ赤に泣き腫らした義母の顔に、
パアアと笑み(いいのか!?)がこぼれた。

初孫なので、皆が口々に、「かわいい、かわいい。」と、笑いが起きた(本当にいいのか!?)。

しかし・・だ・・。

弔問客が来るとその雰囲気も一変した。
皆、殺気立っていた。

私は、娘を置いて、手伝おうとしたが、
「こんな所に寝かせたら、寒いよ」 と注意を受け、移動させた。
すると、別の叔母から、「こんな所じゃ、踏まれるよ」 と言われ、
仕方なく、家の中を遊牧民のようにさまよっていた。

そうこうしているうちに、弔問客も落ち着いて、ようやく静かになった。
今夜は兄弟交代で、通夜守りをする事になった。

まずは、娘を寝かせる為、3番目の弟と、その彼女が、担当した。
ダンナと私は娘を電動ラックに乗せ、仮眠をとることにした。

ダンナはすぐにグガガガと、大いびきをかき始めたが、
私は娘がやっぱり泣いて眠れなかった。

そして、私たちが通夜守りの時間になった。
その頃になって、ようやく娘は眠ってくれた。
私はダンナを揺り起こした。

「ちょっと、交代の時間だよ。起きて!!」 「うーーん、分かった・・。ムニャムニャ・・。」 
そう言いながらも、ちっとも起きない!!
どんなにゆすっても、叩いても、すぐにまた寝入ってしまった。

「ちょっと!!アンタ、自分のお父さんほったらかすの!!」 
しかし、ダンナは自分の父より睡眠欲を選んだ・・・。(この!!親不孝者!!)

仕方なく私一人で、お父さんの通夜守りをした。
義父とは、あまり話したことがなかったので、この時初めてまともに話をした。
ただし、一方通行だったが・・・・。生きている時もっと話したかった・・。
翌日、葬儀が、行われた。

またまた、弔問客であふれかえり、室内は線香の煙で充満した。
それで、娘を連れている私は出口付近に座らされた。
なんだか、孤立していて寂しかった。私も義父をきちんと見送りたかった。

しかし・・。火葬場では、忙しさが一変した。
1人のおばさんが「嫁はお茶くらい入れなさいっ!!」 と激怒したからだ。

私はあわてて、娘を放置し、お茶をついで回った。
すると、別の所から、「ちょっと、泣いてるよ」 と言われ、「はーーい」っと娘の元へ戻った。
親戚は、私の育児にいちいち、口を出した。しかし、誰一人手は出さなかった。

そのすべてが私を逆なでし、イライラはつのっていった・・・。

最悪の2日間だった・・・。

 
《 交代睡眠 》 

私の精神は限界にきていた。

仕方ないので、ダンナに、「一日でいいから、夜中の世話を変わって」 と頼んだ。
ダンナは思ったより、嫌な顔をせず、あっさりと「うん、いいよ。」 と言った。
私は、「じゃ、よろしくね。」 久々に私達は同じ部屋で眠った。

「ぎゃーーーー!!ぎゃーーーー!!」 

やはり、娘が泣き出した。 
しかし、今日はダンナに頼んでいるので、私はダンナが目を覚ますのを待った。
・・・・・・・。  起きない!!
こんなにうるさいのに、ダンナはピクリともしない!!

「ちょっと!!起きてよ!!今日は、世話かわってくれるんでしょっ!?」

私は、布団の中で、ダンナの足を蹴っ飛ばした。

「んん??ああ、泣いてるねぇ・・・。ふぁーーーわああ・・・。」

ダンナはノソノソと起き出し、台所に向かった。

私は、安心して、布団に潜りなおした。(喜) そこへ・・・・。
「ねえー、ミルクってどうやって作るの〜〜?」(え!おい!?)
「!!」 なぜ、今聞くんだ!!(怒) なぜ、起きてるうちに聞いておかないんだ!!
ダンナの要領の悪さに腹を立てながらも、仕方なくミルクの作り方を指導した。

「もう、大丈夫だから、寝ていいよ。」

「分かった、じゃ、大変だけど、頑張ってね。」 (一応気を使って優しくした。)
私は布団に潜り込んで、久々の睡眠をむさぼろうとしていた。
娘は、ンクンクいいながらミルクを飲んだ。そして眠ってしまったようだった・・。

「ねえ、寝ちゃったけど、ゲップさせないでいいのかな??」

私は、ダンナにまたもや起こされた・・・。(だから、起きてるうちに聞いとけって!!)
結局、その日も睡眠をとることは出来なかった・・。

娘が泣いても、ダンナが全く起きなかったからだ・・。 さらに、陣痛の時と同じように
「起きてるんなら、自分でやってくれよ!!」 とまた逆ギレされてしまったのだった・・。

仕方ないので、ダンナが深夜1時まで凪の面倒を見る。そこから、私が朝まで
娘と付き合うという、交代制を編み出した。しかし、寝つきの悪い私は、深夜1時まで

布団の中でしっかり起きているのだった・・・。』
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