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2015年01月19日13:19

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この短い記事では、

性的虐待発覚後に自殺か 京都
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3230881
詳しい状況が解らないので、簡単な判断は、できないけど。

>前施設長は利用者2人の体を触るなどの虐待を数年間継続していた
というのが、気にかかる。

どれほどの施設規模かわからないけど、それほど密室化していたのか?

作業とかを一緒にしていて、普段からの被害者や他の利用者の行動や表情などから、周囲の施設関係者は気づかなかったのか?

発覚のきっかけになったは、「当時の副施設長との相談」というけど。
副施設長は、「チェック目的に入ったヒト」なの?

今まで黙認してて、急に内部告発しているのか?
黙認していたなら、その責任は、前施設長に準じてる。


で、府と市が、「再発防止を指導した」って、何を指導したんだろ?

「2度としないように」って?

元々の事故の原因は、金を出していた国も府も、施設側に「丸投げしてた」ってことなわけで。

「機能しないチェック機能」というのは、「金を出す側の役人の目を通すための、決まり文句の書類」を整えるための「絵に描いた餅」で認可を取って、後は施設管理者の都合通り、適当に運営されいたとことを意味しているわけで。
利用者の人権保護を目的としたコンプライアンスルールの順守のための、施設内でのシステム構築や、まして第3者によるチャックなどは、考えられてもいなかったってことね。

事後処理や「再発防止」も、どこに監督責任があるのかかしらないけど、府か市の役人側が議会に説明できる、「専門家を雇わせました」「防止策をつくるようにと指導しました」って記録が残ればよいだけのことで。
要は事後処理も再発防止策も、書類が残るだけの、またまた「施設側に丸投げ」ってことよね。


現実問題として、監督官庁は、毎日監視にはいけないから、仕方ない部分もあるけど。
税金を遣っている以上、その使用状況の実態チェック(利用者の期待に応える環境整備)には、書類上のつじつま合わせだけでない責任は、納税者にむけて発生するわな。

しかし不祥事発覚に、数年かかっているって、しかも「施設側の職員」を通じてしか、「利用者の苦情は出ない」という環境があったわけで。

新しい施設長は、
>被害者の心のケアの専門家を要請するなどしたい」と話した。
とかいってるけど。
記者の記事のまとめ方が悪いのかもしれないけど、、これって後始末で、再発防止策ではないよな。

で、こうした施設運営のシステム上の間隙というか欠陥が、こうした事故を生んでいるわけで。

そこに反省がない限り、何回でも同じような事故は起こるでしょ。


で、こうした密室化した施設内での事態が表に出ると、ほかの施設で起きているだろう類似の事故は、DV被害者が加害者を「自分が悪い」とかばうように、被疑者側に残る「誘ってしまった」「誘いに乗ってしまった」という痛みを利用して、ますます巧妙に隠蔽されることになるんだろうな。

前にも、某施設であった虐待が表に出たとき、その施設の卒園者は、「あれは虐待ではなくて、遊びだったので。ワタシは故郷を失った」と、加害者たちをかばっていた。
被害者に残る、そうした心の痛みや、一生抜けない価値観の揺らぎこそが、こうした事故では、最大の被害なんだよな。

「魂の殺人」と呼ばれる、大人による子どもへの性的虐待は、いちいち検挙していたら、国家の処理能力をはるかに超えるといわれていているけど。
だから「何もしない」というのは、現にこの事故でも、「前施設長の自殺?」で、後は施設長の首のスゲカエで、監督官庁の責任は、倍賞責任ぐらいで、後はなくなるわけ?

ワタシの体験では、被害者のこうした罪悪感や心のヒダまで入り込める「専門家」というのは、滅多にいない。
中には、こうした事故を、自分の関心や、時には売名に利用した、セカンド・レイプまで、多数、体験している。

で、性的人権侵害には、こうしたSNSなどのカキコミでも散見するような、アメリカでの児童性虐待への大衆ヒステリー的な批難を、加害者や施設や行政にくわえても、被害者の権利が守られるわけでも、今後の対策がうまれるわけではないわけで。

なにより、今回も「前施設長の自殺」という結末は、こうした事故への対策が、施設を認可して費用を出し、管理をまかせた行政側では、まったく「想定外」という状況をしめしているわけで。


要は、性的虐待者に人権侵害のチャンスを与えないためには、施設内での「利用者(働く者ものも含めて)の人権を客観的にも擁護」するシステムの構築が、基本的な再発防止策なわけで。

それが行政にできないなら、すでに京都にもあるはずの、障害者の権利擁護を目的にした市民団体を活用することも、いくらでも考えられるわけで。


かつて日本は、水頭症の福助や仙台四朗のような障害者に、優しく触れる気遣いが、商売道のモラルとして大切にされてきた伝統があるわけで。

「出来ない理由」を揚げる前に、利用者の権利が擁護された施設とシステムの構築が、世界に誇る京都の、新しい誇りになってほしいなあ。

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