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2015年01月17日20:09

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外壁塗装検分行または昨日の日記

杉並区の環7沿いにある、かつて自分が棲んでいた家の外壁塗装の補修が完了したという報告が来たので、金を払い込む前に、一応、見に行った。手間賃を値切り倒したもんで。

目視にて近くから遠くから仕上がり状態をざっと検分の結果、まぁ良いんじゃない? 検分終り。

往路は新宿から地下鉄で方南町へ向かういつものルートとしたが、駅周辺の廃れた商店街には食う所が少ないので、復路は京王線・笹塚経由で新宿へ出た。旧我が家への距離は時間にして5分程度笹塚の方が長い。でも、駅ビルに大戸屋がある。7歳の愚かな自分が西へ行くべき所を北へ行ってしまった結果、数時間彷徨した魔の三叉路を辛うじて見過ごさずに正しく南の甲州街道へ向けて坂を登る。10歳の自分は父が買ってくれた中古自転車で必死こいて登ったっけ。改めて辿れば全然大したことない、この坂を。何せ、ギヤ無しのクソぼろっちい錆々自転車だったもんでなぁ。

人混みが大嫌いで用が済み次第とんぼ返りしたい田舎者の連れと、人混みの一部と化すことを定期的に続けぬと心身が不調になってしまう自分とは、いつもの如く新宿で解散した。

新宿―四谷ルートは、一昨年以来10数回往復して飽きたので、新宿三丁目より四谷までは地下鉄。

四谷から半蔵門へ向かう大通りではなく、日本テレビがある界隈の裏道を抜けて千鳥ヶ淵へ到る直近のコースを歩く。千鳥ヶ淵より北の丸公園、竹橋、竹橋から古本の神保町へ。

すずらん通りのキッチン南海が5時から開店なので、近くの Paperback Cafe (書店+喫茶店の合体したもの)で時間潰す。エスプレッソ240円。静かだ。トイレが清潔。そして若い連中が黙々と読書 or 勉強に勤しむ。以後、贔屓にしてやろう。

ちなみに、すずらん通りの方が靖国通りが出来る前の初期古書店街だったそうな。そして書店は全て通りの南側にあるのだとか。何故なら店が南を背にして北を向いていれば書物が白昼の強い日差しを浴びずに済むから。つまり、表の靖国通りにおいても裏のすずらん通りにおいても、書店の有無で南か北かが分かり、それに従って自分がいずこへ歩むべきかを決定できるわけだから、方向音痴の私には喜ばしい。

キッチン南海を取りやめて、表通りのスマトラ・カレーの店、共栄堂へ。
一番安いポークカレー950円。ルー少ない。
老舗だから高いのであろうが、数軒先の、全く老舗じゃない GOGOカレーで十分なような気がするなあ。あるいは松屋のカレーや蕎麦屋の立ち食いカレーでも。神保町界隈には共栄堂のみならずボンディとかエチオピアとかの老舗が数軒あるのだが、エチオピアも能書きの偉そうさと接客目線&値段の高さ程にはカレーの質は高くない…とは云わぬけれど、日本とは恐ろしい国で、低価格店のカレーが値段相応に低品質とは限らぬし、食えば死ぬわけでもない。

逆に、高価格&低品質を誇るカレーを出し続けながら全く潰れる気配を見せぬ恐るべき古参店は、新宿の奥まった路地にある、その名も「王ろじ」。ここは数年の間隔を置いて二度試したが、二度とも失格だった。配給米(死語)じゃねーのか?と思わず舌打ちしたくなるようなべちゃべちゃのライスに、煮詰めに煮詰め、更にもっと煮詰めた挙句、全然スパイシーでなくなり辛くもなく甘くもなくなって、ひたすらドロンとしているだけのルーがかかった代物を、とんでもない値段で商うのだが、これよりは多分、日高屋のカレーの方がウマい。受け皿と丼が一体の特注容器を用いるところが「王ろじ」の売りであるらしく、しかしながら、皿と丼は引っ付いていようが着脱自在であろうがどっちでも構わぬのであって、米粒と米粒が引っ付いていることが大問題なのである。

紀伊国屋地下にある老舗「モンスナック」は、スープ・カレーなる色モノが発生する遥か以前より、サラサラのマズいカレーを出していたが、ここはマズいながらも先駆者としての功を認められる。王ろじは追随する店が現れぬ故(普通に作ればあそこまでマズいものは出来ないから)、べちゃカレーの元祖にすらなれぬ。

王ろじの悪口とコーヒーの老舗、新橋ランブルの悪口なら私は何ページでも書けるぞ。ただしランブルのコーヒーは高いなりに美味い。

店の沿革を読んだところでは、共栄堂の「共栄」は、曾ての大東亜共栄圏なる夢想と縁があるらしいと感じた。

横須賀海軍カレーの持つ一定のブランド力、あるいは銀座のカレー店主ナイルの圧倒的右翼っぽさ、あるいは新宿中村屋カレー誕生に功あった娘婿にして対英独立運動の志士ビハーリー・ボースの逸話などから、カレーは国家主義的食いものであると私は思っている。

さて…

共栄堂を出たのち、上記のエチオピアや、食べログの評判が余り芳しくないスパイスキッチンの横をかすめて北上、御茶ノ水駅へ。そこから線路沿いに、廃駅修復&再付加価値化された万世橋コンプレックスへ歩き、秋葉原へ到る。微細な電気・電子交換部品のバッタ屋が群居する路地をちらと見物してから線路沿いに神田へ。そして、いよいよ最終区間・神田―東京に着手したところで雨滴が一つ二つ落ち始めたので、これにて長歩終了。東京から東海道線で帰途に就く。

2時過ぎから8時過ぎ。6時間の彷徨だった。


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別の日、新宿西口で撮ったもの。
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